産経 【主張】国会事故調報告 人災防ぐ危機管理体制を+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

 さらに、政府対応について「官邸政治家は危機管理意識の不足を露呈し、指揮命令系統を破壊した」と当時の菅直人首相らの過剰な現場介入を批判し、住民避難の混乱に関しても官邸などの危機管理機能の不全を指摘した。

 これ、重要でしょう。

朝日 日本と韓国―不幸なすれ違いを憂う : 朝日新聞デジタル:社説

 ところが、韓国内からは「日本による再侵略」などという批判が伝えられた。
 日本による植民地支配の記憶を持つ韓国だ。慰安婦問題の再燃もあり、「軍事協力」という響きに敏感になる国民感情はよくわかる。こうした思いはないがしろにすべきではない。
 それにしても、「再侵略」とは、大多数の日本人にとっては思いもよらぬ批判だし、あまりに冷静さを欠いている。

 一つにはその結果で利益を得るのは北朝鮮でしょということと、韓国がこういう政治のブレをするのは大統領が一期だからという制度の問題もある。
 どこの国も隣国とは付き合いにくいもの。また、韓国のように伝統社会の解体が日本より進んでいるなか、日本人を憎悪して連帯を維持するのはしかたない。

曇り・小雨

 蒸し暑く、気分が悪い。
 Twitterで「いじめ」問題をいろいろとつぶやく。まあ、通じないからやめとけと思ったけど、ちょっとタガが外れた感はあり反省。
 「いじめ」が現れたのは1980年代という意味、またそれがメディアを通して「自殺」の文脈で考案されたこと、こうしたことはなかなか通じない。
 「いじめ」は村社会にも戦前にも、人間社会ならどこにもある的な反論をいただくのだが、それは「暴力」の一般論や起源論の問題。
 1990年の4版までの「広辞苑」に「いじめ」はなかったという意味への考慮も想像力も難しいものだろう。
 それはつい実態があったが言葉はなかった程度にも理解される。
 そうではないのだよ。
 言葉が生まれるということは、それを社会が共有意識化した表れで、その共有意識化のなかで現象が理解され、一種の自己予言のように、「いじめ」による「自殺者」を誘導してしまうのだ。しかも、暢気に正義を語っている人間が結果として自殺の幇助をしているに等しい。そんな残酷な事態になっていることに、人が気がつくことはむずかしい。
 ああ。
 別の解でいうなら、愛がなくなったということ。「いじめ」を受けた人間は、「愛」が剥奪さた状態で、それは死ぬほどつらいということ。必要なのは正義ではなく、愛。