今日の大手紙社説

 衆院解散が話題。特に読むべき論点はないというか、朝日が薄ら民主党政権の不安を滲ませ、読売が民主党政権に薄らすり寄っていくあたりが、新聞終わりの時代らしいというか(団塊メディアというか)。
 国政への期待と地方行政への期待が混乱している国民は一度しょっぱい経験をするしかないというか、しかし敗戦の焦土から再生する日本みたいなうるうるな話はもうないと思うが。

朝日社説 衆院解散、総選挙へ―大転換期を託す政権選択 : asahi.com(朝日新聞社):社説

 日米同盟が重要というのは結構だが、それでは世界の経済秩序、アジアの平和と繁栄、地球規模の低炭素社会化に日本はどう取り組んでいくのか、日本自身の構想と意思を示してほしい。それが多国間外交を掲げる米オバマ政権の期待でもあろう。

 「世界の経済秩序、アジアの平和と繁栄、地球規模の低炭素社会化」に取り組む姿勢が「米オバマ政権の期待」にもかない、よって日米同盟も維持されるというのでしょうかね。なんつう……。

そこが東アジアの日本近代史の滑らかな浸潤のような部分

 ピエール先生⇒<中国人>の境界 - 梶ピエールの備忘録。

 その「揺れ」を体現したのが孫文の民族観である。「華夷之弁」を唱える革命派の領袖でありながら、一旦中華民国が成立すると「大一統」の系譜につらなる「五族協和」をスローガンとして取りいれ、さらには同化主義を前面に出した「中華民族の創設」へ、さらには民族自決を掲げたコミンテルンとの政治的妥協と、この「革命の父」の<中国人>観は、麻生総理も真っ青なくらい大きくブレ続けた。
 中国共産党自体も初期の陳独秀のころはコミンテルンの方針に沿った民族自決・連邦制路線を踏襲していたのが、その後よりプラグマティックな民族区域自治へと大きく転換し、中華人民共和国成立後は清朝の版図を引き継ぐ「大家庭」に各民族が属する、という図式を自明にするにいたった。
 単純な同化主義=大漢族主義を戒める費孝通の「中華民族多元一体論」が公式見解として確立した現在でも、その枠組みに異を唱えるものはダライ・ラマラビア・カーディルのようにいとも簡単に<中国人>の枠外に追放される。
 このような状況は、小熊英二氏が『単一民族神話の起源』『<日本人>の境界』などの仕事で達成した、<日本人>という境界の恣意的な設定をめぐる問題群と基本的に同一線上で理解できるだろう。<国民>をめぐる境界が揺れ続けることは、その境界線上にいる人々に大きなストレスを与え、無意識のうちに追い込んでしまう。同化しても、反抗しても、どちらも自分を傷つけてしまうからだ。

 「同一線上」にあるということの、日本近代史の滑らかな浸潤のような部分をどう見るかということになるのだと私は思う。
 もう少し「五族協和」にディテールもあるけど、というか、孫文とは誰であったか。

 たとえば、戦前、台湾人や朝鮮人を誠実に「同胞」として扱う日本人は決して少なくなかった。しかし、その誠実さも「境界」が揺れ続ける帝国的ナショナリズム支配に組み入れられている以上、無意識のうちに彼(女)らに対する抑圧者として振舞うほかはない。平田オリザの演劇「ソウル市民」はそれを鋭く捉えた佳作だし、4月に放送された後、右派勢力の執拗な攻撃にさらされた、NHKスペシャルの「アジアの一等国」でも、同じような立場におかれた台湾知識人/庶民の悲哀がよく描きだされていた。

 ここは逆ブレもあるところ。「無意識のうちに彼(女)らに対する抑圧者として振舞う」ことが彼らの中に内面化されてしまう悲劇。
 そしてその悲劇を悲劇として抽出せず、再び表層的な支配被支配で断罪して、一種被害者ナショナリズムという同質のナショナリズムに退廃してしまう愚。それもまた逆ブレ。
 少なくとも⇒ガザには声を上げてもウルムチには沈黙? イスラーム諸国と日本の左翼 - むじな@台湾よろず批評ブログ
 ちょっとトルコとアラブ理解が甘い感じはするけど。
 あと。
 これはピエール先生もわかっていらっしゃるだろうけど、昨今の報道で、少数民族ウイグル「族」など少数民族に対して、「漢民族」が九割以上とかいうけど、さて、いったいどこに清朝の満人が消えたのか。そう考えると、くらくらしてきますよ。

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ワイルド・スワン〈上〉 (講談社文庫): ユン チアン, 土屋 京子
 ワイルドスワンは満人の物語でもあったなと思う、そういう書評は読んだことないけど。
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ワイルド・スワン〈中〉 (講談社文庫): ユン チアン, Jung Chang, 土屋 京子
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ワイルド・スワン〈下〉 (講談社文庫): ユン チアン, Jung Chang, 土屋 京子
 

追記
 ⇒はてなブックマーク - そこが東アジアの日本近代史の滑らかな浸潤のような部分 - finalventの日記

welldefined 民族籍が満族である中国人は一千万人以上現存。文化的同化は清朝時代にほぼ完了している。 2009/07/22

 これは何の典拠かな。
 「民族籍が満族である中国人」、という表現はさておき、「満族」が現存しているのは、そう。これを満人に同定するかは微妙。ちなみに、私の理解では、この満族は、日本で言うところの創氏改名されているはず。満人の名前と言語を失い、「満族」が現存。
 「文化的同化は清朝時代にほぼ完了」はなにか典拠があるのだろうか。普通に考えると、清朝時代は満人の王朝で、同化とは、つまり、「漢族」を「満人」に同化することを意味する。弁髪とか、チャイナドレスとか満人の文化。満漢全席なんかの影響も受けている食文化にもその影響はある。
 ただ、これは清朝皇帝の中国趣味の歴史とか見ていると、文化的には「漢族」の影響を受けているとも言える。それをもって「同化」というかは微妙。
 とはいえ、エントリの書き方だと、満人が文化的ジェノサイドで消されたかのような印象も受けるかもしれないので、ここはよくなかったとは思う。というのは、清朝時代初期には満人は部族的な概念だけど、後期においては、どちらかというと支配体制を意味している(家の文化が生きているのはワイルドスワンなどでもわかるが)。その意味では、広義に「漢族」も満人になるという意味合いもないわけではない。ここはちょっと難しい。が、体制が崩壊したことで、漢化してしまった。というか、もともと、「漢族」というのは、清朝の国家体制的な「国民」を明時代の漢人に移し換えた近代の国民幻想によるもので、いわゆる民族的な概念ではない。逆にいえば、差別というか、いわゆる少数民族保護がなく、利害や体制の構図で同化していくとどんどん滑らかな浸潤のように同化してしまう。
 その意味で、逆説的なのだけど、東トルキスタンは資源の問題が漢族化をこじらせているとも言える。チベットについては辺境というのと対インドという構図もあるかもしれない。なお、言うまでもないけど、チベット東トルキスタンも満人の保護下にあった。
 ついでなんでいうと、朝鮮族については、半島の外部は、少数民族として朝鮮族を残しているけど、「民族籍が朝鮮族である中国人」といったものを作っていて、白頭山を越えた半島の向こうを正式に東北第四省にはしていない。これは、北朝鮮ソ連の傀儡国家でできたという、ソ連と中国のめんどくさい関係もある。