日経 春秋(7/28)

 上手な文章なんだけど、これ、頭で書いているのね。
 冒頭の体験的な食わせはすごくうまいのだけど。

今宵(こよい)、江戸中期の「川開き」に始まる東京隅田川の大会で、2万2000本もの花が咲く。圧巻は最後の5分間だそうだ。2つの会場で3000発ずつ上げるというから、1秒間に10発。超高速の爆音と閃光(せんこう)はさぞ盛大だろう。間髪いれずに連射するのが現代流なのか。風情まで吹き飛んでしまわないか、ふと心配になる。

 今宵の話だから予断みたいな流れはわかるのだけど、こういう現代花火は昨年もあった。で、執筆子、現代の花火を見ましたか? というか文章からは見てないなと感じがする。見ると、思うところがあるはずだ。現代の花火職人の技術はそれはすごいものだよ。
 というわけで、この手の話は、実際に体験したところから書くべきだと思う。
 というあたりで、上手な文章というか文章技術というのは、それは技術としてはあるけど、実際にいい文章はそういう技術からは生まれない。あるいは文章技術から生まれるのがうまい文章ということになるが、言葉のもつ力を活かせない。この例でいえば、現代の花火職人の技術や意気込みがあの花火から伝わるし、それはかならず見ている人というものを含み込む。そのなかに自分の身体を晒して、そこから自分に文章を書けと促すものがないかぎり、言葉の力は出てこない。

日経社説 連鎖株安が発する警告は何か

 米国株が調整局面に入る前から、日本の株式相場は相対的にもたついていた。参院選後の政局が混迷し、日本の経済効率化や政府のスリム化に向けた構造改革が停滞するとの懸念があるとすれば、株安が発するシグナルは軽視できない。株式市場は参院選後も改革路線を後退させない決意を求めているように見える。

 その割には日経の社説もがたがた揺れていたように思える。

産経社説 【主張】中国汚染食品 抜本的な対策が不可欠だ

 ざっくり言うとこれは間違い。中国に抜本的な対策は無理。日本の輸入分は日本がきちんと囲い込むようにすること。中国はこの手の行政をするには国がでかすぎる。なぜ13億人の単一国家が存在するのかわけわからない。そうでなくても、行政の大半は地方に移管し、国家との分担をすべき。でも、たぶん、中国というのはそれこそができない。

毎日社説 治安対策 「警察の問題」と考える浅薄さ

 なんだろこれ。

しかし、いわゆる「体感治安」はますます悪化している。銃器犯罪が続発し、幼児虐待は増加を続けている。少なからぬ小中高生がいじめにおののきながら学校生活を続けている現実も、看過できない。

 「体感治安」とやらが悪化しているのはわかったが、で、現実はという流れになっていないとお話にならないのだが。

朝日社説 科学五輪―高校生よ、世界に挑もう

 まあ、それもだが、普通の人に普通の近代科学の常識を行き渡らせるということが日本社会の課題のような気もする。もうちょっとスペシフィックにいうと、栄養とか化学薬品とか環境とかの普通の知識というか。

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 昨日の社説コメントを逸したのでざっと見たが、どれもスルーでよさそうな感じだった。しいていうと読売の教員育成問題だが、教師や医師というのは社会の叡智が十数年かけて聖人を作り出す側面がある。そういう表現もなんだが、昔の人はそういう聖人を知っていたものだった、と思う。

これはべたにそう

 これ⇒フィードバックとしてのはてなブックマークへの依存度を下げたい。[雑記] 真性引き篭もり/entry

たとえば、よくいる普通のブロガーであれば、フィードバックは多種多様である。まず「コメント欄」があり、「トラックバック欄」があり、「メールアドレス」があり、「日毎のアクセス数を確認できるアクセスカウンタ」がある。そして、程度の差こそあれ「アクセス解析」「リンク元表示」などもほぼ100%のブロガーに浸透していると言ってもよい。

 このあたり、「よくいる普通のブロガー」といえばそうだけど、その多様なパスについてそれぞれ質と量の意味が微妙に変わってくる。このあたりのブログ運営の技術みたいなものがありそうだけど、あまり語られていない。たぶん、PVが少ないとSNS的な意味を越えないだろうし、メガPVでは基本的にPV量に集積されて(つまりコメントとか実際には読まれていない)といった二極になっているからだ。実際には、ブログの運営はその間の微妙なステップがある。もうちょっと言うと、ある程度読まれないように書く。(もうちょっというと適性PVに均整するように書く。)

ところが、僕は、そういった、フィードバックの多様性を確保する事に完全に失敗してしまっている。コメントと、トラックバックはかろうじて機能している、と言うことも不可能ではないけれど、他は全滅である。

 そこが真引きさんの小狡くないところで魅力でもあるのだろうけど(れいのエディタページ一気書きとかも)。
 それとこれは真引きさんは嫌がるかもしれないけど、ある意味で、ちょっと推測に踏み込むけど、たぶん、普通の社会から引きこもっているのでその社会のというか世間の人というのの感触が弱い、というと正確ではなくて、別の言い方をすると頭良すぎ。だから世間の人を割り切ってしまう。でも、世間というのは知的にあるいは云々というふうに割り切れるものではない(という言い方がすごいキモイだろうけど)。で、世間に実際に身を置いたときの微妙な人の思いの感覚というかバランス感というのがあり、ブログなどネットメディアの持つ奇矯さ(これはマスメディアについても同じだけど)への補正というかディスプレースメントの感覚が必要になる。
 いや、必要、とまでは言えない、メガPV系はむしろそれに従属していればいい(民放テレビと同じ)。いや従属していればいいと簡単なものではないが、いずれにせよ、PV取ったら勝ちに最適化すればいい。ブロガーはそう割り切れない。

けれども、フィードバックの多様性というのは、ブロガーとしての体力、耐久度、最大HPといったものと密接に、直に関わって来るので、なんとかして多様性を確保したい。愛する人をコマンド1つで切り刻める位に強くなりたい訳じゃないけどせめてヒャドで即教会送りにならない程度のHPを確保したい、という思いは物凄く強くあって、ずっと考えてはいるのだけれど、名案永く浮かばない。

 名案はあるよ。たぶん、真引きさんが別IDでもっと普通に近いコミュニティで人と関わること。でも、それって名案だと思わないでしょ。いろいろ理屈付けて却下でしょ。あるいはまたfinalventバーカバーカかな。でも、却下している主体、意思主体である真引きさんというペルソナへの執着だと思う。ブランドといってもいいのかもしれない。でも、そのブランドはたぶん、真引きさんの中の人を幸せにしていない。
 30半ばを越えたら、もう幸せに生きてもいいのだ、と、私は思うよ。むかつくようなことを言ってしまったけど。

あれ的対談

 猫猫先生猫を償うに猫をもってせよ - 「対談集」が減る

 それに限らず、「対談集」は減った。昔は、柄谷行人対談集「ダイアローグ」なんて何冊も出ていたし、山口昌男とか岸田秀とか、よく対談本を出したものだ。今は対談集ではなくて、香山リカ福田和也の悪名高いあれみたいな「対談本」ばやりだ。安直に一冊できあがる、あれ。

 あの「悪名高いあれ」は、福田の後書きでばっちぐーな作品でした。だったら出すなよのツッコミが織り込み済みというあたりに、余裕もあり。
 個人的にはウメッチの対談本は、微妙にウメッチ側の対談の揺れというのがあって面白い。表面的にはウメッチも編集者もうまくまとめているし、そう読めるのだけど、奇妙に文学的なブレがあるように、私は感じる。
 異質者との対談というのは、二者が理知的なら、とても読みやすいものになる。つまり、理知的にだけ読めるようになり余韻はあまり残らない……と思う。
 山本七平小室直樹のれいの対談だが、小室がすっきっとして山本はどうも鈍い。流れも世間話的だ。だが、微妙な余韻があり、その中に割り切れない部分というか、ずっと残るものがある……まあ、残る読者にだけかもだけど。
 大森荘蔵坂本龍一の対談も、ある意味ではつまらなかったが、坂本がぽろっと若い感性を出して大森がそれに答える部分があり、そこは大森が出てしまっている。大森と中島義道の対談だと、中島がある意味でうますぎて大森の揺れがない。
 そういえば、岸田と柄谷の対談があって、柄谷は岸田を、軽くゆるい人に見ているのだけど、どっちが学者的かというと岸田なんだよなと思ったことがある。学者というのは知的である必要はなく、概念や理論に偏執的なところだろう、とか。

へぇと思ったら

 きっこ読んでないんで。
 ワッチャー栗先生俺のターン - きっこのブログがコメント解放してた
 へぇと思ったら。
 エントリのコメントにはなってないのだね。こういうやりかたの好きな人の独自のメンタリティみたいのもあるのだろうか。
 いずれにせよ、エントリのコメントにはなってなくて、ブロガーへのコメント指向になってしまう。でも、ブログのコメントというのは、経験的にいえば、エントリを抜いてしまったブロガーへのコメントというのはダメの典型なんだけど。

増田(その1)が予測するはてなワールド

 増田⇒はてなワールドの予想

予想する。
はてなワールドGUIベースの自己認識が可能な状態でのネットブラウジングだ。

 ついそう考えてしまうんだよね、というか、けっこうそう考える。
 でも、インプルメントと考えると、はてなDirectXみたいの使うわけねーじゃんとか思うので、すると、JavaかAS3ということになる。AS3はマチュアしてないしはてなにそれほど技術力はないんじゃないか。するとJavaというところで、ちょっと萎えて、私の推測は予期せぬ終了。
 はてなはデザインが弱いというかリソースもってないのもなとか思う。