日経 春秋(7/28)

 上手な文章なんだけど、これ、頭で書いているのね。
 冒頭の体験的な食わせはすごくうまいのだけど。

今宵(こよい)、江戸中期の「川開き」に始まる東京隅田川の大会で、2万2000本もの花が咲く。圧巻は最後の5分間だそうだ。2つの会場で3000発ずつ上げるというから、1秒間に10発。超高速の爆音と閃光(せんこう)はさぞ盛大だろう。間髪いれずに連射するのが現代流なのか。風情まで吹き飛んでしまわないか、ふと心配になる。

 今宵の話だから予断みたいな流れはわかるのだけど、こういう現代花火は昨年もあった。で、執筆子、現代の花火を見ましたか? というか文章からは見てないなと感じがする。見ると、思うところがあるはずだ。現代の花火職人の技術はそれはすごいものだよ。
 というわけで、この手の話は、実際に体験したところから書くべきだと思う。
 というあたりで、上手な文章というか文章技術というのは、それは技術としてはあるけど、実際にいい文章はそういう技術からは生まれない。あるいは文章技術から生まれるのがうまい文章ということになるが、言葉のもつ力を活かせない。この例でいえば、現代の花火職人の技術や意気込みがあの花火から伝わるし、それはかならず見ている人というものを含み込む。そのなかに自分の身体を晒して、そこから自分に文章を書けと促すものがないかぎり、言葉の力は出てこない。