これはべたにそう

 これ⇒フィードバックとしてのはてなブックマークへの依存度を下げたい。[雑記] 真性引き篭もり/entry

たとえば、よくいる普通のブロガーであれば、フィードバックは多種多様である。まず「コメント欄」があり、「トラックバック欄」があり、「メールアドレス」があり、「日毎のアクセス数を確認できるアクセスカウンタ」がある。そして、程度の差こそあれ「アクセス解析」「リンク元表示」などもほぼ100%のブロガーに浸透していると言ってもよい。

 このあたり、「よくいる普通のブロガー」といえばそうだけど、その多様なパスについてそれぞれ質と量の意味が微妙に変わってくる。このあたりのブログ運営の技術みたいなものがありそうだけど、あまり語られていない。たぶん、PVが少ないとSNS的な意味を越えないだろうし、メガPVでは基本的にPV量に集積されて(つまりコメントとか実際には読まれていない)といった二極になっているからだ。実際には、ブログの運営はその間の微妙なステップがある。もうちょっと言うと、ある程度読まれないように書く。(もうちょっというと適性PVに均整するように書く。)

ところが、僕は、そういった、フィードバックの多様性を確保する事に完全に失敗してしまっている。コメントと、トラックバックはかろうじて機能している、と言うことも不可能ではないけれど、他は全滅である。

 そこが真引きさんの小狡くないところで魅力でもあるのだろうけど(れいのエディタページ一気書きとかも)。
 それとこれは真引きさんは嫌がるかもしれないけど、ある意味で、ちょっと推測に踏み込むけど、たぶん、普通の社会から引きこもっているのでその社会のというか世間の人というのの感触が弱い、というと正確ではなくて、別の言い方をすると頭良すぎ。だから世間の人を割り切ってしまう。でも、世間というのは知的にあるいは云々というふうに割り切れるものではない(という言い方がすごいキモイだろうけど)。で、世間に実際に身を置いたときの微妙な人の思いの感覚というかバランス感というのがあり、ブログなどネットメディアの持つ奇矯さ(これはマスメディアについても同じだけど)への補正というかディスプレースメントの感覚が必要になる。
 いや、必要、とまでは言えない、メガPV系はむしろそれに従属していればいい(民放テレビと同じ)。いや従属していればいいと簡単なものではないが、いずれにせよ、PV取ったら勝ちに最適化すればいい。ブロガーはそう割り切れない。

けれども、フィードバックの多様性というのは、ブロガーとしての体力、耐久度、最大HPといったものと密接に、直に関わって来るので、なんとかして多様性を確保したい。愛する人をコマンド1つで切り刻める位に強くなりたい訳じゃないけどせめてヒャドで即教会送りにならない程度のHPを確保したい、という思いは物凄く強くあって、ずっと考えてはいるのだけれど、名案永く浮かばない。

 名案はあるよ。たぶん、真引きさんが別IDでもっと普通に近いコミュニティで人と関わること。でも、それって名案だと思わないでしょ。いろいろ理屈付けて却下でしょ。あるいはまたfinalventバーカバーカかな。でも、却下している主体、意思主体である真引きさんというペルソナへの執着だと思う。ブランドといってもいいのかもしれない。でも、そのブランドはたぶん、真引きさんの中の人を幸せにしていない。
 30半ばを越えたら、もう幸せに生きてもいいのだ、と、私は思うよ。むかつくようなことを言ってしまったけど。