切隊 花粉症を鍛える目的で窓を開けて仕事していたら、
洒落に突っ込むほど野暮はないのだが、医学的には、これは逆効果になると思う。自然な状態で、減感作(脱感作)が実現されるということはないと思うのだが。
今日の新聞各紙社説は…
関電美浜事故関連が話題とも言えるのだが、それらが「企業風土」とか社内の内在的な倫理として問われているものばかり。このあたりに新聞というののある錯誤があるのではないかという気がする。
日経社説 本気が見えない温暖化防止策
ま、これはよしとすべきか。
個別に見れば、積極的に二酸化炭素の削減目標を掲げ、税や新制度への対応を準備する企業は少なくない。それが「団体」になると、とたんに税や新制度に反対の声が前面に出てくる。そろそろ自主行動計画とある種の強制力を持ったシステムとの共生を考える時期ではないか。
読売社説 [関電事故報告]「安全最優先へ企業風土を改めよ」
よくわからないのだが「企業風土」っていう扱いはなんか変な感じがする。単に社会と会社の機構の問題ではないのか。というか、我々はその企業の外在なので内在的な倫理を問うのは方法論が違うのでは、と。
朝日社説 女性差別 こんな企業は時代遅れ
こういう現実はあるという意味で一つの社説のパターンだと思うが、文章として面白みはない。というか、新味がない。
朝日社説 私の情報 大切に扱われたい
なにを言いたいのか読めず。
週刊文春"朝日新聞が武富士から受け取った「ウラ広告費」5000万円 "読んだ
朝日新聞ぜんぜんだめだわ。っていうか、これは、炎上するよ。しかたないよ。
散人先生 『アンネの日記』は子供の頃読みましたが、家族ドラマとして面白かった。
先生の読まれたそれと、該当アフィリエイトのそれと違うので、再読されるといいと思いますよ。
旧版は重訳でしかもかなり編集が入っています。
同じ本を薦めるのは野暮なので、有名ですが、こちらを当方は。
『アンネの日記』もう一つの真実
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ネット書き込みは「偶然」 センター試験の出題示唆で
そういえば思い出話だが、高校生のとき、試験前で、なんだっかな、なんかクラス中たるい感じで、先生もなんかたるげ、どういういきさつか、おまえ授業しろとか名指しくらって、じゃ、っていうわけで、期末試験対策講義をやったら、当てちゃって、先生から、おめーに講義させるんじゃなかったと言われた。ま、試験ってある種のフレームワークでできているというか、出題者との知恵比べだしね。
FPN-日記系ブログとmixi日記の力関係はどうなるか?
ま、どうなるのかな。
それほど頻繁でもないが、ちょっくら書いて、まずいかと思ってmixiにボツ記事を移すことはあるけど、たいしてどういう内容でもないです。
仏政府がTV番組に圧力?=欧州委員長の出演中止で憶測
アメリカ人は寝不足で性生活に問題あり!? | Excite エキサイト : ニュース
昨日クリップした話。こーゆーのがきちんとネットに出る時代になりましたなぁ。
そういえば滝沢…
終わるというので行ってみた。10年前と変わらない。ちょっとトリップ感があった。
もちろん、混んでいたし、予約客リストもあり。なんか、舞台が引けたような花束みたいのもあった。
女給さんと言っていいのかわからないけど、古い時代のきりっとした色気のようなものがあり、案外、人気だったのかも。
たけくまメモ: ホリエモンと俺はどこが違うのか
あれ、この人、ワシと同世代だっかと思ってみたら、60年か。微妙だな。
しかし、こういう時代ではあったなと思う。自分も英単語とか覚えようとしたのはダメだったような気がする。
エントリにある長崎玄弥先生にはお会いしたことある。巨漢でねっからの教育者という感じであった。ご存命であろうか。
そういえば三国人?ま、そういうタームはなしとして…
懐かしくて歌舞伎町で飯を食ったが、変わったといえば変わった。歌舞伎町だからもしれないが、朝鮮人、中国人、台湾人、多い多い。そして、しゃべるしゃべる。エレベーターのなかでスムニダはやめてくれと思うのだが、気にしない。携帯電話もがんがん。ただ、音漏れは若干気にしていたふうなのは日本配慮か。ま、どこの国の人がいてもいいのだけど、聞こえてくるのが非日本語のほうが多いんじゃないかというのは驚いた。
そういえば…19歳のある早朝…
新宿駅西口からでると、自分より年上か同じくらいか、しゃがんでアンパン。まだ、ヒッピーみたいなのもいたような。あれから30年か。紀伊国屋は外見にはあまり変わらない。久しぶりに伊勢丹を見上げたら(伊)の看板があった。あれって、10年前そうだったけ? 忘れた。
伊勢丹にはそういえば、ガラス越しの小さなスタジオがあって、私は、そこで山口百恵とか桜田淳子を見た。どっちも、実際に間近でみると、小さな、くりっと可愛い女の子ではあった。テレビと同じだなと思った。他になにを思っただろう。
そういえば、世界堂はどうなっているのだろう。移転したか。なぜか、けっこう、あそこにしけこんでいた。紀伊国屋と世界堂。なんか青春だなぁ。孤独だったなぁというか、人生こんな孤独なものかと。御苑に入って、鳩とかぼんやりよく見ていた。あのしだれ桜はまだか。ある意味、新宿は変わらない。
新宿と四谷の間は、よく歩いた。私は走るほどの早足なので、そのくらいの距離はなんでもなかった。六本木から三田とか、六本木から四谷とか、すいすい歩いていた。四谷にはいとこの下宿があったっけ。信濃町にも友だちが暮らしていたか。四谷駅のところの、中央出版は今でもあるのか。エンデレとかはどうか。上智の食堂には鮨屋はまだあるのだろうか。ま、どうでもいいか。市ヶ谷駐屯地もないのだよね。