3.V. Beyond Perception

Perception, on the other hand, is impossible without a belief in "more" and "less." At every level it involves selectivity. Perception is a continual process of accepting and rejecting, organizing and reorganizing, shifting and changing. Evaluation is an essential part of perception, because judgments are necessary in order to select.

 このあたり仏教の「空」観にとても近いようには思う。同じかもしれない。
 余談。
 Acimはヘレンが書いたもので、その知識はすべてヘレンに由来すると思う。なにか超越的なものがヘレンを媒介に現れたとは私は信じない。もう少し露骨にいえば、二重人格の一つのであろうと思う。おそらくワプニックもそう見ているだろう。そしてその上で、その人格を聖なる物として理解しているだろう。
 それはそれとして、こうした個所を読みながら、Acimに現れるこの「イエス」は何者なのだろうかと不思議に思う。
 もう少し脱線すると、Acimを読むようになってから、Kも似たようなものではないかと思うようになった。ただし、Kの場合は、通常のKの意識のほうが聖なる人格に合理的に融合しているのであまり破綻は少ない。K以外にもう一人思う人もいるが、こうした特殊な二重人格はなんだろうかと思う。いや、Kの場合は、二重人格ではないし、ヘレンにしてもそれがTeaching以外に現れることはなかった。
 ヘレンにしてもKにしても、超越的な聖なるものがあるわけではなく、おそらくAcimのイエスがいうようにこの聖性は私たちのほぼ全員にあるのだろう。それがなんらかの理由で、ふさがれているように思える。とはいえ、ではその蓋を外して二重人格的に出現すればよいというものでもない。