小谷野敦「日本人のための世界史入門 (新潮新書)」、読んだ。
日本人のための世界史入門 (新潮新書) |
読みながら高校の世界史の授業を思い出した。というのは、高校の先生が、史実の説明にいろいろ主観的に漫談風にいろんな雑学的知識がまぜていた。
なかでも、小谷野さんのこの本については、世界史の英米文学作品の関連がちょこちょこ言及されていてよかった。このあたりのことは、意外と学ぶ機会がないものだなと常々思っていた。
内容的にも、高校の世界史を越えていない。新説についても固いところを抑えているので、ごく普通にこの本は受験参考書にもなるだろうと思う。参考書より読みやすいし、つっこみかたが高校生向きなテイストもいい感じだ。
小谷野さんが高島俊男のファンだというのはわかるし、そのあたりは固く抑えられていたし、論の修辞は呉智英のファンらしい感じはした。
東大系の知識人については、批判を含めてよくフォローしているなという印象もあった。岡田史学についてはまったく言及されていないが、このような本の性質であれば、それはそれで別に問題でもなんでもないだろう。
新潮が作っているらしく、ざっと見てどきっとした誤植や誤りは少なかったかったように思う。異論はあるだろうなあというのは異論のままでよい。あとで、メモをまとめておきたい。
キリスト教についてはわからないと率直に示されている。それはそうだろうなと思った。というか、このあたりは、自分のようにどっちかというとすっかりキリスト教寄りな立場からすると、日本人の現代知識人の率直な世界理解像というのはこういうものだろうし、欧米でも現代の若い人ではそのほうに近いだろう。世界史を通してキリスト教を理解する必要などはないといえばそれはそうだろう。
以下は個別に個人的な、見解の違いなどをメモ。なお、深い意図はありませんし、著書をおとしめる意図はまったくありません。
p35 「エンペラーの語源はラテン語のインペラトールで、これは直接、大きな領土を意味するインペリウムから来ている。」
"impertor"は"imperre(to command)"から。岡田英弘は、「外敵に対して勝利を収めた将軍が部下から受ける非公式の称号」この称号を帯びるのはローマ時代では「ローマに帰って凱旋式を挙げるまでの間」と説明。
37 「ディレンマは二つのもの、トリレンマは三つのもの(中略)ダイアローグ(対話)は「ディ」と同じだ。(中略)世界史を学ぶには、地理と、語学上の基礎的な知識はやはり不可欠になってくる」
ディレンマ(dilemma)のdiはダイオード(diode)の"di"と同じで「2」の意味、ダイアローグ(dialogue)の"dia"は直径(diameter)で英語だとthroughのように「渡す」という意味から。
p72 「『日本紀』は一般に『日本書紀』といわれるが、『日本紀』がいいだろう」
紀伝体なのでそう考えることは不自然ではないが、広く見られる説では『日本書』の「紀」が日本書紀になったとする。いずれにせよ、資料的に『日本紀』とすることはまた定説ではないはず。
p107 「そもそも、ビザンツ帝国は、ギリシア人を中心とした帝国だった。古代のギリシアの、質においてローマを凌ぐ文明に対して、ギリシア人は誇りを持ち(後略)」
ここはちょっとやっかいな話で、『生き残った帝国ビザンティン』あたりがわかりやすいのだけど、ビザンツ帝国はイコール、ローマ帝国、なので、古代ギリシア文明の流れではなく、ローマの正統にある。あと、この時代のギリシア人はローマ人を意味するのだけど、典拠の書籍が書架から取り出せないので、ご参考まで。
p118 「モンゴル帝国は、一二七一年、五代目の世祖フビライ・ハーンの時に国号を元とした。」
ここは史観の問題とも言えないことはないので、ご参考までに。岡田英弘は、「元朝は、東アジアの多くの地域を統合した大帝国だったが、一番重要な地域はもちろんモンゴル高原で、中国は元朝の植民地の一つにすぎなかった。その中国を統治するための行政センターが大都(北京)であり(後略)」
p119 「なお西洋では革命を意味するレヴォリューションというのは、回転という意味で、なぜこれが民衆が王を倒す政変という意味になったのかは、よく分からない。」
一つの説明としては、よく見られるようにOnline Etymology Dictionaryのようなもの。
revolution (n.)
late 14c., originally of celestial bodies, from Old French revolution, from Late Latin revolutionem (nominative revolutio) "a revolving," from Latin revolutus, past participle of revolvere "turn, roll back" (see revolve). General sense of "instance of great change in affairs" is recorded from mid-15c. Political meaning first recorded c.1600, derived from French, and was especially applied to the expulsion of the Stuart dynasty under James II in 1688 and transfer of sovereignty to William and Mary.
126 「ほかに医学、法学、修辞学が学ばれ、リベラル・アーツとよばれたが」
「自由七学芸」は、Gram. loquitur, Dia. vera docet, Rhet. verba colorat. Mus. cadit, Ar. numerat, Geo. ponderat, Ast. colit astra(文法は語り、弁証は真理を教え、修辞は言葉を飾る 音楽は歌い、算術は数え、幾何は測り、天文は星を学ぶ)なので、医学、法学は、歴史の文脈では通常含まれない。
p128 「はじめてインダス文明が栄えたのち、紀元前十五世紀に四方からアーリア民族が侵入し、先住民族はインド半島南部に追いやられる。」
これも異論があり、ご参考まで。『古代インド文明の謎 (歴史文化ライブラリー): 堀晄』
p144 「なお「プリンス」は、今では王子のことだが、歴史上では、王、大公などがプリンスとされており」
これは現在でもそう。ご参考までに。「リヒテンシュタインについてのつまらない話: 極東ブログ」
p154 「(前略)、一四五三年にビザンツ帝国を滅ぼしてコンスタンチノープルを首都とし、イスタンブールと改称して(後略)」
これは些細な話だが、「イスタンブール」ではなく、「イスタンブル」。「ソークラテース」を「ソクラテス」と表記すると似たような例かもしれないどうでもいいことのようだが、たぶん、「ストラスブール」などの混乱から生じた誤解だろう。
p165 「新教はプロテスタントと呼ばれるが、こちらは四世紀の聖アウグスチヌスの、人が死後神の国に入れるかどうかは、前もって決まっているという説をとっている。現世でいいことをしたら天国へ、悪いことをしたら地獄へと行くというのは、仏教でさえ言われるが、これは本来の教えとは違う。(改行) だが、こういう教えは、死後天国へ行くために善行しようという偽善者を生む。まあ、偽善でも善行ならいいのだが、宗教的にはそれでは困るので、改革が起こるわけである。」
ここは複雑に入り組んでいて、解説だけでもしかすると一冊の本になるところだけど、簡単に、ご参考までに。
まず、予定説をアウグスチヌスから読むのはジャン・カルバンの『キリスト教綱要』の立場で、この読解はキリスト教の神学で広く支持されているわけではない。また、プロテスタントがすべて予定説を採っているわけでもない。また、予定説は偽善とは関係ない。また、改革の必要はカルバンからすれば、という点だけに限定されている。
p169 「ロシアでは、一五三三年にイヴァン四世が即位した。雷帝と呼ばれる人物で、カエサルのロシア語読みのツァーリを名乗り、以後ロシアは帝国となる。ビザンツ帝国が滅びて、東方皇帝がいなくなったためだが(後略)」
こう説明されるのもわからないではないが、その後のイヴァン四世の動向から事態を考えるとよいだろう。彼は、1574年モスクワ大公位を退位し、1575年にジョチ家皇子シメオン・ベクブラトヴィチをクレムリンの玉座に座らせ、1576年にシメオンから禅譲という形でツァーリを受けた。この手順からすると、ツァーリはジョチ家の「ハーン」の意味で、ローマ皇帝の文脈ではなくモンゴル帝国の文脈にある。
p171 「宗教改革に対抗するため、イスパニア、ポルトガルでカトリックの団体としてイグナティウス・デ・ロヨラが作ったのがイエズス会である。(中略)遅れて日本に来たイングランド人やオランダ人は、新教徒であったためもっぱら商業のために来ていた」
概ねそれでいいのだけど、内実はもう少し複雑。ご参考までに。「さむらいウィリアム―三浦按針の生きた時代: ジャイルズ ミルトン」
p237 「一九一一年、辛亥革命が起こり、中華民国が建てられ、清朝が倒れた」
間違いとも言い切れないけど、辛亥革命は1911年10月10日武昌起義から1912年2月12日の宣統帝退位の期間で年をまたぐ。
p241 「マルクスは、剰余価値の理論においては優れていたが、革命が資本主義の最高発展段階で起きるという点では謝っており、資本制の後進国であるロシアで社会主義革命が起きたのである」
ここも入り組んでいて、まず、剰余価値説は優れていたかについてはその時代、そう見られていたというのはある。が、現代の経済学ではかなり難しい。また、ロシアで革命が起きるとしたのはレーニンの理論によるもので、マルクスの考えとは別と見るのが妥当。このあたりは、ロシア革命なるものをどう見るかにもよるが、「ロシア革命の神話―なぜ全体主義体制が生まれたか (自由選書): 宗像 隆幸」がわかりやすいが、通常「ロシア革命」と呼ばれている事態は、まさに歴史の偶然にすぎない。