加藤典洋『ふたつの講演――戦後思想の射程について』、読んだ。

 加藤典洋を読むのも久しぶり。

cover
ふたつの講演――戦後思想の射程について
 副題になっている戦後思想の射程というのを、震災後の現下に近い状況でどう考えるのかという関心から読んだ。
 悪くはないのだが、なんとももどかしい違和感があって、これはきっちり批評にすれば批評になるだろうし、いちどはまとめないといけないかなと思いつつ、ただ、こう考えた。
 なにかというと、その批評なりをするこの私は、とても、小さな人間であり、こういう問題になんらかの発言をしても、その小ささの影響力しかもたないだろう。であれば、その影響力の微少さの均衡程度に言うくらいでいいのではないか、と。
 これは、うまく言えないのだけど、加藤が、福一原発被害について、自分たちの世代がこの日本を汚染して子孫に残すのかとやや悲劇的に倫理課題にするのたいして、たしかに国家としては後の日本国民についてそう責務を持つべきだろうが、私のような卑小な存在にその課題はそもそもないように思えた。無責任というのではなく、私は普通に、言論人ではない。ブログはそれなりに一生懸命に10年間書いてきたし、ブログの世界としては読まれたほうかもしれないけど、一般社会に意見が届いたわけでもないし、私は言論人でもない。公的な言論的な責務は私にはほとんどないように思えた。
 科学技術については、原発との関係だが、加藤は、吉本隆明を間違いだったことが明らかになったと既決にしているが、参照されている吉本の過去発言も私は私なりに以前再読し検討したのだけど、むしろ吉本は理系だなあというくらいに正確に見ていた、と理解した。今回の事態に吉本動じなかったのは、老いてボケてたわけでもないだろうと確認した。私はといえば、この点で、吉本「主義」から微動だにしていない。エネルギー政策としては原発は広義の経済政策に依存するし、科学技術としては進展させるほかはない。というか、それが人類というものだ。ただ、薄暗い問題は、加藤はやや比重を置いているのだが、日本が潜在的な核保有国であるということだ(そういう表現を加藤は使っていないが)。この問題は大きな矛盾で、加藤はそれなりに議論するのだが、ではその文脈で日本が潜在的核兵器廃絶ができるのか、米国の核の傘はどうかという、具体的な国際情勢の文脈で見ると、私の理解では、彼はなんにも言ってない。
 ちょっとこういう言い方はないかなと思うけど、日本の言論人とか思想家とか論壇とか、ほとんど国際情勢に無頓着な人達だと思う。言論鎖国言語ゲームのようにしか思えない。現下の北朝鮮危機が国際情勢上問題なのは、韓国が自国で核化を推進する志向を持ち始めたことと、このままでは北朝鮮が大陸弾道弾を獲得すること、また、北朝鮮が背後でイランやパキスタン(かつてはシリアも)に繋がっていたことなどだが、こういう具体的な問題が思想の課題にはならいし、人道という点でもたとえばシリアの問題など論じられない。
 というか、日本の思想界というか論壇とか、そういう点でも私にはどうでもいいことのように思える。という相のなかで、本書も見えてしまうことはある。
 加藤のこの本の議論に寄り添うなら、かつての敗戦後論の主題を依然保持しているのが懐かしくも思えたが、ようするに国民として日本の兵士や戦災者たちをどう追悼するかである。思想的にはルソー的なテーマでもあるのだが、この点については、ブログのほうで懐疑的に間接的に理神教を見てきたが、まあ、ある薄気味の悪いデッドロック感はある。
 で、どうか。具体的には、靖国ではない追悼施設をさっさとつくり、形の上では追悼すれば、加藤の提出する問題も形式的には終わるように思う。という意味で、そんな思想の課題ですらないように思える。
 が、国民としての追悼、ルソーのいう市民宗教的なものだが、僕は、自分をしみじみ吉本主義者(自嘲としてね)だと思うのだけど、そんなに是認できない。国家というのは畢竟宗教で、それを理神的市民宗教化してもどうにもならないように思うし、そのあたりはたるく見ていればいいように思う。
 ただ、関連で思うのだけど、先日ブログでも触れたけど、東京陸軍航空学校のような戦跡の歴史というのは、むしろ靖国に変わる代替施設なんかより、心情的に重要に思えてならない。私も55歳になった。加藤さんはだいたい10歳年上だから、65歳。そのあたりの老い込み感の差違かもしれないけど、歴史の忘却性には恐怖するものはある。
 が、私としては、いわゆるリベラル派が冷戦時代から掲げている戦争の情念は、赦し、忘れていいと思う。というか、加藤の追悼のテーマもそれに間接的には繋がるのだろう。
 たらたら書いてみても思うことはあるが、まあ、たるいなあというもある。こういう課題は、実際のところ、加藤さんの世代で終わる。現在の思想論壇とか、こういう問題はリベラルなキッチュとしてしか再現されない。
 話は全然逸れるが、それと、あと、加藤さんは温和な人で、人前で切れるということはないんだろうと思っていたが、授業中に切れたという逸話があって、へええと思った。案外、そのあたりが一番の、この講演集の意外感だった。

追記

はてなブックマーク - 加藤典洋『ふたつの講演――戦後思想の射程について』、読んだ。 - finalventの日記
nisiyukinohate
こういうのを書評というのか。2013/05/18 11 clicks

 書評なんていうわけないじゃないですか。読書メモにすぎませんよ。
 僕の書評がどういうものかはは、cakesのほうをお読みください。