失恋のこととか

 55歳の、もう爺さんじゃねーのかという年の男が、23、4歳のころの失恋を思うのもどうかと思うけど、意外と心のなかに沈んではいるもので、そういうはなかなかごまかしがきかない。これはなんともなあ、つらいものだなと思う。
 『考える生き方』(参照)では、最初、失恋の話とは書かなかったが、編集サイドで入れたらというのと、なくていいですよというのがあって、いろいろ思ったけど、入れるには入れた。読んだかたから、抽象的過ぎるというのがあった。自分にしてみると、あの本書いてようやく、失恋の痛みとか悔恨とか罪責感とかいろんなものがあっても、自分の受け取る分は半分でいいということだった。それで十分かなとも。そのメッセージが誰かに伝わるかはわからない。失恋のつらさは半分でいい。
 そして年を取ったので、実はディテールはもうだいぶ忘れている。ビジュアルにすっと思い出す部分があり鮮明でもあるので、なにかよく覚えているような気にはなるけど、それも記憶の欺瞞のようなものだろう。
 で、なんの話かといえば、『色彩を持たない……』を読んで、そのあたりの無意識的な整理みたいのが少しついたような気がする。特に、シロがつくるを愛していたわけではないというあたりの距離感が良かったように思う。それと、クロとの恋愛がきっと失敗に終わっただろうというのも良かった。
 失恋とかしないで、そのまま相手と過ごしても、そのまま破綻するというのが、ある年を経るとしだいに納得できるようになるし、もしそうでなければ、どこかに自己欺瞞があるのではないか。もちろん、自己欺瞞をすべて除いて生きろとも思わないし、もしかすると人によっては失恋を修復したら幸せになれるのかもしれない。
 でも、過ぎたことは過ぎたことだ。
 それは終わったというより、本当に過ぎたのだなという感じがする。
 小説のようにその過ぎたものをもう一度きちんと許し合えたらそれはそれはそれで素晴らしいようにも思うけど。