月曜日

 年度末の作業など。
 昨日に打って変わって、この季節らしい寒さだった。
 3月11日になった。震災から2年である。振り返るとあっという間でもあるが、昨年感じた困惑は、この一年でもそれほど整理が付かない。
 メディアでは今日はその特集が多いだろうと思うし、黙祷などそこに寄せる人の気持ちもわからないでもない。私も追悼という思いはある。ただ、微妙な違和感の部分もあって、なんとも言葉にしづらい。「違和感」という「違和」の感覚とすら違う。
 いろいろに思う。ひとつなんとなく思うのは、震災というより、津波ということなんだろうと思う。また、原発の問題は、それはそれで問題であるし、震災と津波によって引き起こされたのもだが、津波の、莫大な死者の問題とは、自分の心のなかでは切り離して考えたい。
 「違和感」というのでもないのだが、と、語るとそれが違和感のような形を取り出す、心のありかたにも、ある種の困惑を覚える。
 追悼したい人々の気持ちはわかる。それを歴史のメモリアルとしたいという気持ちもわかる。ただ他方、悲惨は悲惨の形で、すこしづつ離れ、ある種、忘れていくこともあるように思う。
 このあたり、うまく言えない部分でもある。
 今朝方、追悼の番組を少し見たが、残された人の自責が、ある部分、剥き出しで放映されてくるのに、ぞっというのとも違うのだが、ある恐怖のようなものも感じた。放映された人、放映した人を、嫌悪したというのでは全然ない。
 悲惨に対して、あなたのせいではないのだから、自分を責めるをやめてください、と、言えないものだろうか。結論から言えば、言えない、私は。私との関係が問われるからだ。
 私は、この震災と津波の影響は受けたが、その災害の、強い影響をうけたわけではない。時代の傍観者に分類されて不思議でもない。そうした人が、悲嘆のなかにある人に向けて、何かを言うことはできない。
 いや、市民として捨象された部分で、わずかな発言はできるかもしれないが、そのことと、自責をやめましょうという思いとがうまく結びつかない。
 この問題は、昨日の東京大空襲の慰霊でも思ったのだが、戦禍について、どうと言うことができない。ロメイは鬼畜であるということはたやすいし、その議論は典型的にあふれている。そしてそのレベルの愛国心は他愛ないものだと言える。また、他方、あの戦争はアジアへの侵略戦争であり、私たちは加害者なのだとも言える。これもまた典型的なものだ。そうではないと否定していわけではなく、そうした諸議論の根底にある、私を日本国民に縛り付ける心情との距離の問題である。
 市民原理だけでいうなら、戦争の是非は、国家を介したものなので、市民としての概念化された責務であって、この私の罪責感とはなりえない。
 そのあたり、昨日、五木について書いた文章を日記に写したが、関連した思いはある。
 ブログのほうに載せるべきか悩んで結論がでなかった。ブログならという特別な意味があるわけではないが、あの形では、うまく伝わらないだろう。
 ではどうしたら伝わるのかもわからなかった。
 まあ、難しい。
 思想というのが問われるなら、そのあたりなのだろうが、どう考えてよいのかすらわからない。
 ひとつには、「追悼」という心情の連帯は、概念的には市民に抽象されているので、個々人の「私」には無縁であるとは言える。震災の被害になにも感情を動かされない日本人がいてもよいし、それこそが自由だ。倫理はそこで束縛的であってはならない。が、その市民的な自由の上で、連帯から追悼の感情が生まれる。そして、そのなかで、悲惨にあった人々に、もうそれ以上、自分を苦しめる自責はやめましょうと、どう語ることができるのか。