粘り強くあいまいさに固執すること

 cakesに連載している書評の、五木寛之『風に吹かれて』の回(参照後編)で、テーマに近いながらも、あえて扱わなかった話があり、書かなくてもよいのだけど、なんとなく気になるので書いておきたい。
 扱わなかったのには理由があった。一つは、版によっては関連の章が掲載されていないことだ。もう一つはメッセージの受け取りが難しいことだ。

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風に吹かれて
(角川文庫)
五木寛之自選文庫
エッセイシリーズ
 cakesの連載書評には、「新しい古典」と通しタイトルがあるように、これからの時代で新しい古典として読まれそうな書籍を扱っているが、古典であることの条件の一つは、読み継がれることだ。そして「読み継がれる」というのは多くの場合、いくつか異なる版の存在を意味する。
 そこでまず、初版・初出と現在流布している版の比較が重要になる。『風に吹かれて』についても、いくつかの版を検討したところ、ごく基本的なレベルで、掲載されている章の異同があることに気がついた。異同というか、削除があった。
 現在比較的容易に入手できる1995年に刊行された角川文庫の、五木寛之自選文庫エッセイシリーズの『風に吹かれて』(参照)を1968年の初版と比較すると、4編のエッセイが削除されていることがわかる。理由は、角川文庫版に追加された「文庫新版へのあとがき」(「風に吹かれて」の三十年)に簡単に言及されている。

 こんど角川文庫版を新しいエッセイ・シリーズとして編むに当たって、作者自身でわずかな字句の訂正と改訂を試みた。本はテキストではない、というのが私のかねてからの持論だからである。ふり仮名をふったり、漢字を仮名に改めたりした部分もある。改行もふやし、いくつかの章はスペースの都合で外すことにした。すべて現在の読者に読んでほしいという気持ちからだ。
 削除された理由は、「スペースの都合」とされている。それを疑う必要はないが、問題は当然、その都合で、どの章を削除するか、ということになる。
 それほど難しい問題ではない。実際に削除された項目を読めば、推測はたやすい。たいていの場合は、時代に合わないか、その時代に沿いすぎて時代証言になるというより、古びた話に読まれることを懸念したものだ。あるいは、笑いを取るにしても些末な話であったり、単純に論旨が歪んでいたり間違っていることもありそうだ。
 が、そうした理由の背後に、作者の、当時の思いを隠そうとする深い意図が潜んでいることもある。そこをどう読むかは、冒頭示したように、メッセージの受け取りかたに関係する。
 1995年の角川文庫版の削除章で、cakes書評のテーマに近い章は、「明治百年の若者たち」だった。「一九六八年である。明治百年の春がきた。」という冒頭で始まる。確かに、そう書き出されると、現代の若い読者は、ほとんどピンとこないだろう。
 1968年を明治百年として想起できる年代の下限が私の世代になってしまった。もの心付いて世界を眺めることができるのが、10歳くらいの年齢なら、1968年の日本を経験のなかで留めているのは、1958年生まれが最後である。私は1957年生まれなので、当時の、明治百年騒ぎは明確に記憶にある。当時10歳の男の子には忘れがたい、明治百年記念切手の記憶がある。
 その1968年から今年のこの春には、45年が経った。50年の節目には5年足りないが、百年の半分は過ぎた。当時、明治百年と言われると遙かに遠い昔に思えたものだったが、その半分の50年という年月は、意外に早くすぎたという実感が私にはある。まあ、この話も自著『考える生き方』(参照)で書いたので、そこは割愛して、該当の削除章を見てみよう。
 冒頭にこう続く。

 新しい年を迎えると、奇妙に昨日までの一年間がはっきりした遠近法で見えてくる。
 昨年、最も多く質問されたことは何だっただろう。私の場合、それは小説についてでも、政治に関してでもなかった。もちろん、女や酒についてでもない。
 〈現代の若者たちをどう思うか?〉
 おそらく最も多く浴びせられたのは、そんな質問だったように思う。
 五木はその問いかけの背後にあるものをすぐに嗅ぎ取った。なお、昨年とは1967年である。五木はこの年を「若者総批判の年」とも呼んでいる。

私が求められているのは、警棒だった。その棒で私が若者たちの背骨を痛撃するのを、彼らは期待していたのである。
 当時のマスメディアは、流行作家の五木の口を借りて、若者批判をしたかったのだった。その時代、世間の大人たちは、若者の生き方や活動を批判していたというのが背景にある。
 さて、この年、五木は何歳で、その若者は今何歳になるだろうか?
 五木は当時35歳である。35歳は、当時は、若者を批判する大人の年齢に組み入れられていた。現代なら、35歳はまだまだ若者気取りだというのに。
 その時の若者を18歳くらいとしてみよう。すると、1950年生まれである。現在は、63歳である。
 つまり、こういうことだ。現在63歳の、あたかも老人に見える人たちは、現在80歳の老人から、「なんだあの若者たちは」と、当時、痛罵を浴びていたのだった。
 どうです?
 あなたには、現在、63歳の老人と80歳の老人に、その大きな違いが見えますか。
 それどころではない。現在80歳の老人、つまり、五木寛之は、同じ生年月日の石原慎太郎と同様、戦後の初の若者世代だったのだった。特に石原は、戦後の日本の道徳を打ち破る若者の最先端にいた。それが今や、80歳なのである。
 みんなかつては若者で、そして、みんな、その下の世代の若者をこづき回していたのだった。
 そんなことは、もちろん、少しでも歴史の感覚のある人間なら誰でもわかることだ。当時の五木寛之も、その時代の若者を痛罵することの愚かさは自覚していた。
 が、それだけではなかった。
 五木寛之は、1968年に、若者批判の背景にある「二者択一の問いかけ」というものを忌避していた。そこで、当時の話題だった明治百年という、日本の近代史の自覚が反映してくる。

 たとえば、明治百年の日本の歩みをどのように評価するか。革命五十年のソ連におけるスターリンの役割を否定するか。それも必要とみとめるか。学生運動の暴力は、是か非か。アラブ連合とイスラエルは、どちらが正しいか。
 それから45年も経った現在では、自明か愚問に聞こえる部分もある。だが、当時はこれが、厳しい「二者択一」の問いかけでもあった。
 こうした二者択一の問いかけをどう捉えるか。現代でも、現代版の二者択一の問いかけがあふれていることは、あえて例に引くまでもないだろう。
 五木は、この章でこう述べていた。

 二者択一の答えを求められ、口ごもらず即決できる自信と決断を、私は正直うらやましいと思う。私はいつもそのたびに絶句するか、錯乱とも思える多弁におちいるのである。
 この段落の一つ先に、やや唐突に次の段落が現れる。そして、この段落は、そのままこの章のなかで奇妙な孤立を示す。この部分の本文の違和感は、『風に吹かれて』のオリジナルの独自な味わいでもある。

 私の母は敗戦後の外地の混乱の中で、死ななくてもよい死に方をしたが、その事件さえも私には二つの層をおびて見える。
 cakesの書評で私は、ここに五木寛之という作家の本質を見たがゆえに、その部分にやや乱暴だが切り込んだ。こう言っていいのかわからないが、cakesの書評で採った俯瞰がなければ、この段落は解釈ができないだろう。さらに五木寛之本人もそのことに気がついていただろうし、この章が削除された理由とも関連しているのだろうと私は推測した。
 この段落に次の段落が、ぎこちなく続く。ここで「このような人間」として自身を指す五木は、実は、この時点ではその核心の秘密を語り得ない状態にあるにもかかわらず。

 このような人間が、傍観者としてでなく生きていくためには、どうすればよいか。私は思うのだが、それには一つしか道はあるまい。つまり、その口ごもり、立ちすくむ姿勢を堅持すること。現実が大きなターニング・ポイントにさしかかっている時には、粘り強くあいまいさに固執することさえも力の要る仕事だろう。なぜならば、強風の中で立ち続けていることは、風の方向に逆らうことなしに不可能だからである。
 彼の口ごもった基点を知った現在からすれば、ここに「これが人間が生きるということなのか」と思わせるほど恐ろしいことが書かれている。
 「風に吹かれて」と五木寛之は言うが、実は、彼は「風に吹かれて」いながら、それに抗って、口ごもっていた。
 五木がこの削除章で示したかったことは、彼自身という人間を存在せしめた凄惨な歴史の受容の姿であり、そこから、口ごもること、曖昧に固執すること、強風の中に立ちづけていることを彼は語った。二者択一に安易な解答を求めるのではなく、また「若者」を痛罵するのではなく、若者にその忍耐の意味を語りたかったのだった。
 「粘り強くあいまいさに固執すること」が重要なのは、人間は歴史の悲劇を背負いうる存在だからだし、人は歴史的な存在となるからだ。