「『考える生き方』に書かなかったブログ論の一部」のエントリに書かなかったブログ論の一部

 なんてものがあったりします。
 ついでなんで、こんなの。
 



  

生活者としての共感を求める

 ブログの書き手と読み手が同じ地平に立つ場所の、もう一つは、生活者としの共感である。ひとりの確固たる生活者となるということだ。
 世の中にはお金持ちや権力を握っている人がいる。しかし、お金も権力もその人に固有ものではない。不幸や戦争などがあれば、奪われてしまうものだ。そういう不確かな属性を除いていけば、人に残るのは、日々、衣食住を実行する生活者が残る。
 それを延長して娯楽を含めてもいいだろう。文化や芸術といった難しい話ではなく、誰も背伸びせず楽しめる娯楽は生活者に密接している。
 一人の人が、充実した生活を送る。お金や権力といった偏りなく、共感しようとすれば共感できる生活者の立場に立つ。それがもう一つのブログの立場になる。
 私自身についていえば、当初は政治や思想みたいなものをテーマにしてきたが、自分も一人の生活者であるということから、他の人と共感を求める側面として、趣味の料理のことなどをよく書くようになった。
 もちろん、趣味の世界にも正義もあれば対立し合う派もあるだろう。しかし、普通の生活者の生活の彩りという限界がきちんと意識されれば、そこが「公」として強調することも可能になる。