妄想

 秋めいた空を見上げ、枯れていく桜の木の葉を見ながら、あの人の奥さんは、私のかつての恋人ではないかと思う。まさかと思う。そして、恋人というのがそもそも妄想だよな、恋なんてなかったんだと思う。あの人については、一度見ただけで、たまたま名前を覚えていたせいか、ずいぶん偉い人になったものだと関心した。もし彼女が彼の奥さんなら、それはそれで幸せなのではないか。
 さて、こういう感情は嫉妬だろうか。悔恨だろうか。自分のふがいなさを憐憫しているのか。よくわからない。おそらく、結局、それほど恋していたというふうではなかったのだし、彼女が僕を選ばなかったのは、別にあの人とは特に関係のないことだと思うからだろう。
 そうかなと自分の心を覗き込む。よくわからない。感情が揺さぶられるような何かがあるわけではない。
 そして、なぜこんな妄想を思いついたのかといぶかさを感じるうちに、それがもしかしてこの秋空の空気かもしれないと気がつく。ふと、自分が何歳だか忘れている。いまあのころの自分のように、もしなにかの出会いがあったら、恋とかいう思いを抱くのだろうか。
 たぶん、ない。心地よい秋風が身体を抜けて、その分だけ自分を透明にするような気がする。まあ、いい。なんでもいい。終わったことだ。
 いろいろなことが終わった。人生の時間というのは、積み重なっていくものでも、また紐のようにずるずるとしたものでもなく、ただ、小さな終りの、たくさんの確認の比喩なのかもしれない。
 そうして、ぜんぶ終われば、もっともっと自分は透明になって消えるのだろう。