160 : Lesson

I am at home. Fear is the stranger here.

 Acimをどう捉えるかは人によると思うが、私は最近では、これは信仰や信念というよりも、「死」というものに一つの受容のありかたなのではないかと思う。人の意識=存在というのは不思議なもので、それはハイデガーが言うように死に先駆され、そこに規定されている。が、そうでもないかもしれないというのが復活のメッセージであり、復活というのはその内実は、赦しであり、赦しというのは「死」の一つのありかたなのではないか。憎しみをすべて人はいずれ捨ててこの世界を去る。人は日常的には自分が死んでもこの世界がある、存在すると思っているが、その認識の主体である自我も記憶もなくなってなお、この世界があるとしてもナンセンスに過ぎない。「私の死」にあっては世界は存在しない。そして終わりといえば終わりだが、そのとき、私が抱えてきた私を苦しめるものすべても終わる。それを、なんというのか、きちんと受け止めるというのがAcimなのではないか。