108 : Lesson

To give and to receive are one in truth.
 このレッスンとは直接関係ないが、れいのacimのQA集本を読みながら、ワプニクの描くAcimがかなり強固に出来ていることをじわじわ思った。ぶっちゃけ、Acimはオカルトでしょうと自分で思っているし、こうした狂信的なところにまで追い込まれてしまった自分の精神のどん詰まりみたいなことは思う。少なくとも、こんなもの誰にもお勧めできない。
 しかし、ワプニクの本を読んでいると、これはおよそ理性というのを理神教ではないふうに詰めていくと、こうなるしかないという合理性の極北のように思えた。まさに、自分がここに至るしかないようなものだなと。
 Acimの神は世界を創造していない。物質は存在しない。それだけでどんだけ狂信かと思うが、反面、独我論をおしつめて生きてきた自分からすると、自分が存在しない世界で世界が存在するだの物質が存在するだのというのは信仰でしかなく、それを私は信じ切れない。また、現代物理学では時間の概念をリニアなものではなく、その始まりや終わりも記述できるようになったが、では、時間の始まりや終わりにこの世界や物質はどうあるのかといえば、消滅するだろう。これがナンセンスに聞こえるのは、私という知覚によるだけのことである。陽子まで崩壊していつか宇宙は無に帰し、永遠に無になる。また別の宇宙が始まり、時間が始まるかもしれないが、時間はそうしたものであって、意識から離れれば、無と見てもよい。というか、意識が想定している時間はこの宇宙を支配しているわけでも、認識しているわけでもない。
 屁理屈のようだが、世界は存在しない、神は世界を創造しないというのは、意識と時間を問い詰めればある自然な感覚でもある。