教養ということで

 さっきツイッターで⇒Twitter / finalvent: 教養がないってい

教養がないっていうことは、こういうことなんだろうなという某著名ブロガーさんのエントリーを読んでしばし考えたが、ここでつぶやいてお終い。

 とつぶやいて、多方面にご迷惑。すみません。
 皮肉な意味ではなく、困ったなぁと思ったのがきっかけだった。
 いやそこはそうじゃないんだよみたいな話を書いても通じないだろうなとも。
 余談だけど、士農工商だが。
 ウィキペディアを見ると、ごく基本が最初に書かれていて、ほっとした。
 ⇒士農工商 - Wikipedia

士農工商(しのうこうしょう)とは、儒教において社会の主要な構成要素(官吏・百姓・職人・商人)を指す概念である。「四民」ともいう。近世日本では、遅くとも17世紀半ばまでに「士」が武士を意味するように意味が改変されて受け入れられた。ただし、実際の近世日本で、儒教で意味されるような厳格な身分制度の概念として普及していたかについては、種々の異説があり、はっきりしない。後段を参照のこと。

 このあたりは、きちんと義務教育レベルで教えてくれているんだろうか。
 「異説もあり」で紛糾しているだろうか。

士農工商の概念がいつから日本に取り入れられ、さらに「士」が武士を意味するように改変されたかは不明であるが、遅くとも17世紀半ばまでにはそのような用法が確立とした思われる。

 ところが、これが、またウィキペディアにあるな、これも。
 ⇒武士 - Wikipedia

室町時代・戦国時代・安土桃山時代を経て江戸幕府成立に至る過程で、次第に武士が公権力を担う領域は拡大し続けた。江戸時代以降は社会の全てを覆うようになり、元来軍人・「武官」に相当する職務であった武士が「文官」として働くことが多くなった。江戸時代以降の武士は、軍事から文化へと活躍の場を移っていくことになる。このようなところにも、武士と武官の違いが現れているといえよう。 江戸時代には文官に相当する武士を「役方」、武官に相当する武士を「番方」と呼んだ。

 でも、この「番方」は、普通にセキュリティーなんですよ。
 じゃ、「役方」は何をしていたのかというと、これは、江戸三大改革とか見ればわかるはず。で、その改革の根幹はなんで、「役方」はなんだったか、で、どうしてこれが明治維新になったかと。