20代のうちに知らないと危ない、宗教についてあれこれ。

 私たち日本人は、宗教活動にほとんど無自覚の生活を過ごして20代を迎えます。
 でも、中国人や韓国・朝鮮人ベトナム人みたいに犬肉を食べる人はあまりいなくて、正月にはわんさか神社仏閣に初詣に行って、カレンダーはキリスト教暦を使ってキリスト生誕日(信仰上の伝承)を祝って、検知未満すれすれの放射能を汚れとして恐れまくっている日本人が宗教に無関心なわけないよね、と海外の他宗教の人や無神論信者から見られています。
 まあ、日本人は無自覚になんか宗教を信じているんですよ。
 で、20代になったころ、あらたまって宗教関係のお話を知人から聞くようになったり、政治がらみで耳に入ってくるようになって、「それってばかじゃね、と思うでしょ。
 つまり、自分のほうが頭がいいと思うでしょう。
 「理系だぜ俺」って思う人もいるでしょう。
 こういう青年がたくさんオウム真理教に入信したものでした。理由はわかりますか。そこに宗教の秘密があるんですよ。
 宗教の多くは神とか死後の霊とか言うものです。馬鹿みたいと思いませんか。神なんかいるわけありませんよね。
 でも、「どうしていないと思うの?」と聞くと、「いるわけないじゃないですか」と答える人は、おばかさんでしょう。
 「どうしたらいると信じられるますか。その条件は何?」と聞いてみて、「そんなものねーよ」と答える人は、思考停止状態です。つまり、宗教を信じている状態と実は同じです。
 たいていの人は、神がいない理由や、いると信じたい条件を心に隠しているものです。それが、本当は、怖いことなんです。
 たいていの人が神を信じないのは、その「神」にイメージを持っているからです。どういうイメージか、教えましょう。
 それはアラジンの魔法のランプに出てくる魔神(ジン)みたいなものです。ご主人様である、あなたの言うことをかなえてくれる万能の召使いです。
 こっそりそんなものを心の底に、神のイメージとして持っていて、そして、そんなのいるわけねーじゃんと思っているのが多くの日本人なのです。それが神の否定の背後にある日本人の隠れた宗教でもあるのです。
 さすがに万能の召使いなんているわけないですから、次に、日本人はどう考えるかというと、そのイメージと取引をするのです。このくらい願って、このくらい献身したら、このくらい神様=万能の召使いが取引として、願いをかなえてくれるというわけです。
 これを日本語で「努力」するといいます。
 努力が報われなくて、ぷんぷん、している人っているでしょ。神様と取引がうまくいってないんですよ。
 現実に生きていて、そういう取引がうまくいくことはあまりないけど、努力して報われないなのもなんだなという、ぼちぼちでんなあみたいな部分で、適当に幸運があるといいなあくらいには、日本人は神様を信じているというわけです。
 別の言い方すると、ご利益やメリットがあれば宗教を認めてもいいんじゃないみたいに考える人がいるわけですっていうか、そういうふうについ宗教を考えちゃうというのが日本人の宗教なわけです。
 でも、人生がもっと悲惨になると取引にリキが入っちゃう人もいて、そういう人がいわゆるご宗教な人になって、もっともっと努力を投入するわけです。
 実際に投入した努力(長時間労働とかね)には、宗教とは関係なく見返りみたいなものがあったりして、なのに、それで神を信じる悪循環になったりもします。
 まあ、適当に幸福だとそういう悪循環にもならないもんです。
 それと、取引とは別に神様を信じてしまうテンプレには、奇跡の経験というのがあります。
 奇跡なんてあるわけないと思いませんか。ありません(きっぱり)。
 でも、どうして奇跡がないと言えるのでしょう。そんなの物質で構成された宇宙に物理法則以外のものがあるわけないじゃないですか。ねえ。というわけですが、そういう人に、ある日突然奇跡の経験がやってきたりするわけです。
 よく考えてみるとわかるんですが、奇跡の経験というのはあくまで経験だから、物理法則とか関係なく発生しちゃうんです。
 で、奇跡の経験するとご宗教になってしまう人が出てくるのは、人間が経験やそこから学んだ理解で生きている以上、しかたないものなんですよ。
 だから、奇跡の経験みたいな経験するかどうか。偶然とか、無意識にためてる自己欺瞞のプレッシャーみたいなもので、奇跡の経験とかしてしまったとき、どうするかというのは、そんとき、経験を否定するとかどういうことか、自分を疑うとかがどういうことかと、きちんと考えるしかないんですよ。
 あと。
 死後に霊魂があると思いますか。
 あるわけないですよね。
 じゃ、死んだ肉体はゴミですか。
 そう豪語する人がいますよね。じゃ、そのゴミに小便ひっかけても、まあ、そこで小便するなよトイレでやれよ、くらいな感想を持つはずですよね。
 でも、なんかそうじゃないような気がしたら、実はこっそり心のなかで死後の霊魂とか、信じているのかもしれませんよ。
 ロサンゼルスの自宅で首を吊って自殺した元大リーガー伊良部秀輝さんは現地で火葬されて、その後お墓はありません。納骨されていません。お寺が遺骨を預かっていて、期限は7年で切れて、その後は他の人の遺骨とまぜて無縁仏になります。
 どう思いますか。
 いや別段それでいいと思いますか。それが本人の意志だったんじゃないですかと思いますか。
 ところで、その本人の意志ってどこにあるんでしょうね?