毎日新聞社説 社説:イレッサ高裁判決 安全対策に逆行する - 毎日jp(毎日新聞)

 出ないものかと思ったら、満を持して登場。期待を裏切らない論説。

 薬の副作用と因果関係がある可能性ないし疑いはあるが、完全には断定できないので法的な不法行為はない−−。そう言われたら訴訟など起こせなくなると薬害被害者は思うに違いない。イレッサ訴訟東京高裁の判決はそういう内容だった。

 いきなり大上段からばっさりと。
 しかし、のっけから論理がおかしい。高裁は「薬の副作用と因果関係がある可能性ないし疑いはあるが、完全には断定できないので法的な不法行為はない」と言っているのだろうか。まず、前半の「薬の副作用と因果関係がある可能性ないし疑いはあるが」は実はナンセンスな修辞で医薬品には副作用がある。むしろ副作用によって医薬品は管理される。なので「完全には断定できないので法的な不法行為はない」というのはそもそも論理がおかしい。正しくは、副作用の伝達が十分であったかということになる。ここでこれが大きく問題になるのは、イレッサの副作用は死だからである。ただし、イレッサの副作用の死はそう簡単ではないのが、この問題の複雑さである。いずれにせよ、毎日新聞社説のこの冒頭のような扱いはそもそも暴論でしかない。ただし、内容はかならずしも暴論とも言いかねる。ので見ていく。

 副作用と健康被害の因果関係を立証するのは簡単ではない。しかし、因果関係が必ずしも確定していなくても被害防止を優先する方向性で薬事行政の改革は進められてきた。数々の薬害の犠牲を踏まえて獲得されてきた成果とも言える。そうした薬の安全対策の歴史を押し戻すかのような判決だったのだ。

 最後の一文を除けば正しい。問題は、イレッサという薬剤の特殊性にある。むしろ、その特殊性が問われているのに、他の致死可能性のある薬害と一緒にするという前提がこの最後の文に隠されている詐術なのである。では、その特殊性とはなにかだが、補助線的に問えば、末期肺がん患者にイレッサを投与しなければ済む問題なのかということだ。投与なくしても致死の可能性は高い。この状況に置かれた患者の立場に立ってみたとき、イレッサはどのような薬剤に見えるか?
 毎日新聞社説の主張のように、致死の副作用があることが十分に伝達されていたら、この薬剤を使わずに薬害死が避けられた、めでたしめでたし、となるか。
 少し勇み足なので社説に戻る。

 イレッサは「副作用の少ない夢の新薬」などと宣伝され、申請からわずか5カ月で承認された新しいタイプの肺がん治療薬だ。ところが、副作用の間質性肺炎を発症して死亡する人が半年で180人に上った。死亡した患者の遺族らが国と販売元のアストラゼネカ社を提訴した損害賠償請求訴訟は1審の大阪地裁、東京地裁とも原告側の主張を大筋認め、同社に対する賠償を命じた。

 この文章はつまるところ、副作用があるしか述べてはいない。

 一転して原告敗訴となった東京高裁判決を弁護団はこう批判する。「承認当時の国と製薬会社が薬事法で求められている義務を尽くしたかどうかが問われている訴訟なのに、薬事法や添付文書の記載要領が求める基準とまったく異なる基準を採用した判断で、このようなことは被告側の国や製薬会社ですら主張しておらず、裁判の争点でもない」

 ここは毎日新聞社説の優れた点である。問題は、「承認当時の国と製薬会社が薬事法で求められている義務を尽くしたか」にあることを明確にしたことだ。
 ではその義務とは何か?
 弁護側は「薬事法や添付文書の記載要領が求める基準」を満たすことがその義務だとする。そして、今回の高裁判決は、薬事法とは異なる基準を採用しているから、不当判決だというのだ。
 問題は、毎日新聞社説や弁護側がいうように、国側が基準のすり替えを行ったのか、あるいは、薬事法が定める基準とは何かということになる。

 そもそも1審の主な争点は、承認当時のイレッサの添付文書には副作用の間質性肺炎が目立たない所に記載されていたことの妥当性についてだった。国に対する賠償請求を棄却した大阪地裁判決ですら「添付文書の重大な副作用欄の最初に間質性肺炎を記載すべきであり、そのような注意喚起が図られないまま販売されたイレッサ抗がん剤として通常有すべき安全性を欠いていたと言わざるを得ない」と指摘した。

 問題は具体的に絞り込まれる。ようするに、「イレッサの添付文書には副作用の間質性肺炎が目立たない所に記載されていたことの妥当性」である。

 ところが、東京高裁は目立たない所でも記載されていれば妥当とする判断を示した上、「目に訴える表示方法を違法性の判断基準とするならば、それはがん専門医の読解力、理解力、判断力を著しく低く見ていることを意味するのであり、真摯(しんし)に医療に取り組む医師の尊厳を害し相当とは言えない」と断じた。現実には専門医らの処方によってイレッサ販売後に多数の患者が間質性肺炎で死亡しているのにである。しかも販売当初の添付文書には、専門医に使用を限定するとの記述はなかった。

 ここの部分の判断が難しい。
 まずジャーナリズムして失格と言えるだろう点は「目立たない所」というのは原告の主張だが、これが社説の文章では高裁がそのように判断したように読める部分だ。これは毎日新聞社説の主観が判断の前提に混入している。
 社説には記載されていないが、「目立たない所」というのは当時の添付文書で、間質性肺炎の副作用が4番目に記されていたことである。
 具体的には⇒http://homepage3.nifty.com/i250-higainokai/iressa-tenp/iressa-01-200207.PDF
 「重大な副作用」の項目にあり、1 重度の下痢(1%未満)、2 中毒性表皮壊死融解症(頻度不明)、3 肝機能障害(1〜10%未満)、4 間質性肺炎(頻度不明)、の4点のみであり、これが「目立たない所」として薬事法に違反するかが論点である。
 弁護側の主張を敷衍すれば、これが1番目にあればよいということなるだろう。
 添付文書を見るとわかるが、「4 間質性肺炎(頻度不明)」のように当時は頻度が不明であった。これが頻度が明確にわかっていてそれが隠蔽されていたのなら、問題の構図は大きく変わるがそういう話は現状ない。
 しかし、頻度が不明であれ、間質性肺炎は致死性なのだから1番目に上げるべきかということだが、その論点は当時の添付文書一般から議論してイレッサに特殊性があるかになる。その判断は難しい。下痢も致死性とも言える。
 毎日新聞社説に戻るとこの議論もまた典型的な暴論になっている。「イレッサ販売後に多数の患者が間質性肺炎で死亡している」のだから、「がん専門医の読解力、理解力、判断力を著しく低く見て」いたというのである。「4 間質性肺炎(頻度不明)」の頻度不明がまったく隠蔽された、転倒した議論である。

 たった2回の審理で結審した結果がこれだ。弁護団でなくとも、東京高裁判決はどうなっているのかと思えてくる。

 この点については毎日新聞社説に私も同意で、最高裁まで上げてこの問題を確定するとよいだろう、致死的な副作用を上回る有効的な治療の道を閉ざさないためにも。
 まとめ代わりに、ジャーナリズムの問題として見ると、「目立たない所」という主張は弁護側の主張でもあるが毎日新聞もそれに載った形になっていて、他の媒体では見られない。もちろん、独自の視点があってもよいが、現状ではジャーナリズムというより、毎日新聞の視点なく、弁護側の支援にしかなっていないように見える。