朝日新聞社説 イレッサ判決―薬の安全高める責任 : asahi.com(朝日新聞社):社説

 医薬品については、科学的証明が不十分でも、最悪の事態を想定して安全対策にあたる「予防原則」の考えが定着してきている。そのことと、賠償責任の有無は区別して考えるべきだというのが判決の立場だ。
 結果として、安全への配慮がおろそかになる心配はないだろうか。因果関係や法的責任を厳格にとらえた今回の判決がひとり歩きして、企業や行政がやすきに流れてはならない。
 繰り返された薬害の歴史を思うと、開発や販売、審査にあたる人はもちろん、社会全体で考えを新たにする必要がある。

 過去の薬害に引きずられて一般論を想定したくはなるが、イレッサの場合、配慮で認可を遅らせて入念に副作用を見ればよかったかというと、微妙な部分がある。認可が早すぎたというのはあるが。また、その原則からラグの問題も派生している。

 「専門医は認識できた」との判断も論議を呼ぶだろう。裁判で争った患者は専門医にかかっていたが、イレッサは「効果が高く、副作用が少ない」と評判になり、深い知識のない医師も処方していた。十分な経験をもつ医師に使用を限るとの記載が添付文書に加わったのは、被害が広がった後だった。

 これも通常の薬品であればそうだが、あの時点でイレッサの独自の副作用がどう想定できたかという問題がある。

 新薬の早い承認を待つ患者の期待に応えつつ、安全性の確保に万全を期す。被害の償いや責任の解明に努めるものの、それによって医師が萎縮したり、国民の負担が過大になったりしないようにする――。
 相反する要請を両立させることの難しさを、イレッサ問題は投げかけている。司法判断の揺れはその表れともいえよう。

 ということで、執筆者も揺れはあるのでしょう。