没エントリ

 今週のニューズウィーク日本版に久しぶりにピーター・タスカ氏のコラムがあった。邦題は「本質なきTPP論争の不毛」とあるが、英語の"TPP is Not the Issue"のほうがしっくりくる。TPPなんて問題ですらない。そのとおりで、コラムを読むに頷くばかり。そして一見これといって斬新な視点もないし、私のようなブロガーが自分の頭で考えるといった話でもなさそう。なのでブログに引っ張ることもないかとも思ったが、鍋焼きうどんも食い終わったことだし。少し。
 タスカ氏は早々、TPPバカ騒ぎの本質を描いている。


 昨秋、当時の菅直人首相が初めてTPPへの参加検討を持ち出したとき、民主党政権交代を勝ち取る原動力となったマニフェストを「廃棄処分」にしている最中だった。農家への戸別所得保障制度で食糧自給率を上げるというのもその1つだ。
 代わりの公約を必要とした菅のために補佐官や官僚がひねり出したのが「社会保障と税の一体改革」とTPPだ。菅の後を継いだ野田も、TPPを公約の中心に据えた。
 経緯はそういうことだ。この話は基本的に菅政権を引きずっただけで、しかも民主党マニフェストを反故にするための代案だった。
 先日「バカ騒ぎしても、結局、TPPで日本は仲間はずれ: 極東ブログ」(参照)でも触れたが、TPP参加検討を持ち出したのは菅直人前首相であり、ひょんなことで後を継いだ野田ちゃん首相が、とりわけ何かをしたわけではない。というか、なんにもしなかった。昨年の菅政権から一年すればTPP騒ぎがやってくることがわかっていたので、1年の余裕をもってバカ騒ぎが仕込まれただけにすぎない。
 TPPには利益という点ではさしたる重要性はない。

 ところがTPPの実際の経済効果となると、利益も不利益もごく些細なものでしかなさそうだ。

 そもそも、日本国外ではTPPにほとんど関心は払われていない。賛成と反対の議論の応酬が過熱しているのは日本だけだ。
 まったくそのとおり。米国の思惑だの陰謀など欧米報道にはその片鱗すらなかった。現実的にあるのはせいぜい、牛肉自由化の問題くらい。しかも、これはTPPに関わらず、もう日本のヘンテコなトリックは国際的には通用しない時期になった。ついでに言うと、普天間飛行場問題も時期をすぎて、野田ちゃん内閣はごり押しを始めている。これからもごりごりとやるのか、よくわからない。今回のTPP騒ぎを見ていても、野田ちゃんって期待通りなんにもやらない人だなという理解は深まったので、押し詰まったらなんにもやらないだろうとは期待できる。
 いずれにせよ、今回の日本ローカルなTPPバカ騒ぎの本質は、まさにバカ騒ぎであったことにある。タスカ氏は特徴を2点から見ている。

 賛成派と反対派の認識にこれほど開きがあるのはなぜか。それには相互に関連した2つの答えがある。
 1点目はまことに日本的。

 第1に、TPPは貿易とは無縁の問題の象徴になった。知的にどちらの「チーム」に属するかという二元論の象徴だ。巨人ファンか阪神ファンか、マンUバルセロナか――自由貿易保護主義か。
 つまり、立ち位置が、あっちかこっちかということ。赤勝て、白勝て、源平合戦である。それだけが燃える要素ということ。
 2点目はさらにトホホ。

 不毛な論村に対する第2の答えは、今日の世界情勢を考えればとりわけ重要だ。政治家は、自らの存在意義を疑われないよう「政治を行っている」ように見せかける必要がある。
 どういうことか。政治が死んでいるのに、政治をしている演出が政治家には必要だということ。
 タスカ氏はこれを日本だけの現象ではなく、政府が不在になったベルギーも引き合いにしている。現代国家は政府なんかなくてもやっていける?
 残念ながら日本は本当ならそんな状況ではない。

 日本の政治エリートは数多くの難題を抱え、どれ一つとしてまともに対処できないでいた。東日本大震災の対応は頼りなく、指令不在も明らかになった。復興債を発酵してあらゆる資源を東北地方の再建に総動員する代わり、ごく少額の補正予算をめぐる対立で時間を浪費した。新たなエネルギー政策を出すわけでもなく、電力業界を再編成するわけでもなく、まして東京から首都機能を分散させて将来の大災害に備えるというビジョンなどあるわけもない。
 逆に言えば、本来の政治課題から逃げるために政治家は無難なバカ騒ぎを必要としたのである。
 タスカ氏は述べていないが、紅白合戦と不毛なバカ騒ぎを必要としたのは政治家ばかりではない。日本の、いわゆる知識人の少なからぬ人がこのバカ騒ぎに便乗していた。端的に言えば、今回のTPPバカ騒ぎに便乗した「知識人」はもうゴミ箱行きでいいだろう。
 で、本来の政治課題はなんだったか。タスカはぐさりと刺す。というか、依然から変わらぬ課題でもあるが、いっそう深刻になっている。

 その間に、長年の懸案は明らかに深刻化の一途をたどっている。過去10年、歴代内閣は「デフレ脱却」を繰り返し公約したが、そのために必要な金融緩和政策は行われなかった。一方で欧米の中央銀行は大々的な金融緩和を行ってきたので、円はいや応なく高くなり、輸出競争力は近隣のアジア諸国に対して相対的に弱まった。
 安全資産としてのスイスフランに資産が集中して通貨高になったとき、スイス政府は対ユーロの目標相場を宣言。それ以上になれば介入も辞さない姿勢を鮮明にした。だが日本政府は断固たる対抗措置を取る代わり、国内での雇用を創出する企業に対して補助金を支払うなどその場しのぎの政策に頼った。
 現実的に日本がスイスのような介入は無理としても、金融緩和は必要だっただろう。