終風日報編集後記 「無人島に持っていくとしたら何を持っていきますか?」

 定番の質問、「無人島に持っていくとしたら何を持っていきますか?」 さて、なんだろう。まず思い浮かぶのは電池を必要としないものである。そして長く耐えるもの。本だろうか。▼私の親の世代には復員兵がいる。実際に戦地に赴いた人々である。彼らが出征するときだが、どの本を一冊持っていくかというのは当時の話題でもあった。岩波文庫が多い。岩波文庫にはそういう役割もあった。▼誰がどの本を持っていったかはっきりは記憶していない。碧巌録は誰だったか。善の研究もあった。目に付くのは万葉集であった。理由ははっきりわかる。恋の歌を読みたいと思うからである。▼「夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものを」 解は不要だろう。千年前の日本語であるが、そのままの形で後代の日本人を捉えて離さない。歌は大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)、家持の叔母である。彼女自身は恋に百戦錬磨であろうから、存外に座興の歌であるかもしれない。「恋ひ恋ひて逢へる時だに愛しき言尽くしてよ長くと思はば」、関係を続けたいなら愛の言葉をつぶやきなさいとも彼女はいう。恋の渦中のようでそこから引いた笑いも感じられる。▼こうした歌本を携えていた日本兵がいた。ならばドナルド・キーン氏が軍務でありながら日本兵の日記を読み心を打たれたというのは当然だろう。無名の日本人に日本の心を生み出すのは日本の言葉の伝統である。▼坂上郎女の没年は知られていない。折口信夫死者の書」では娘をなしても斎姫(いつきひめ)と呼ばれるが、大伴家の刀自として家の文化をすべてを切り回していたのだろう。「黒髪に白髪交じり老ゆるまでかかる恋にはいまだ逢はなくに」とは艶がある。▼「刀自」は「とじ」と読む。沖縄では「トゥージ」として今も生きている。万葉集を携えて沖縄戦に趣いた兵士のなかにそれに気がついたものがいただろうか。