終風日報編集後記 シベリア抑留で思う

 トップ記事がツイッターの基本的な使い方の解説。新聞の記事とは言いがたい。他の話題を見るにさほど興味も引かれない。今朝の毎日新聞の社説「シベリア抑留 後世に伝える仕組みを」との話を思い出す。引用しよう。▼「第二次世界大戦の終了後、旧満州(現中国東北部)などで降伏した日本人兵士たち約57万5000人(厚生労働省調べ)がソ連領やモンゴル領に連れて行かれ、労働を強いられた。うち約5万5000人(同)が抑留中に死去したとされている。今年春までに約2万人の遺骨が帰ったが、身元が判明したのは約800人。現在、日本に生存する元抑留者は約7万人と推計されている。」▼社説の話は概ねそうであろう。昭和32年生まれの私は身近ないろいろなところでシベリア抑留の話を聞いたものだった。体験者からも直接聞いた。これだけ多くの人が悲惨な境遇にあったのだから市井に語られないことはない。だが表立って語られない面もあった。ソ連支持の知識人が跋扈していた冷戦時代である。1980年代の反核運動ですらソ連核は問えなかった。▼兵士と男が拉致されていけば残る女はどうなるか。かくして敗戦国とはいえ日本も対処しなくてはならず、引揚援護庁を作り保養所を作り、国家が運営して中絶を行った。超法規的措置であった。おおっぴらに語られる話ではないが市井の人々は知っていた。毎日新聞社説のように、後世に伝える仕組みを作るべきか。▼もしかすると毎日新聞社説子は知らないかもしれないが、シベリア抑留から帰らない人もいた。現地の女性や同じくソ連に引かれた他国人女性と結婚して子をなしたりした。幸せであったか不幸であったか。数奇な運命であろうが、安穏な人生であろうが、そのこととは関わりがない。