今日の大手紙社説

 メア氏発言など。
 私もfinalventの本音・本心はこれだみたいによくバッシングされたので、こういう心性に向き合うのはほんと疲労感がある。
 重要なことは、発言者の公的なステータスと公的な発言の性質。今回の事例ではメア氏は公的な地位にあり、大学の講義も私的とは言い難い。そして、その発言ノートの信憑性は概ね妥当ということで、米政府の対応には問題ない。こういう人を要職に就けていたいたというのも米国の失点。
 そのことと、ジャーナリズムの原則はまた別のこと。ジャーナリズムを政治運動に利用すれば、ジャーナリズムの信頼性が損なわれる。今回の事例では、発言の信憑性をもっときちんと扱うべきだった。
 日本人は、証言者が多ければそれが真実だと思うが、真実は証言者の多さではない。多数決ではない。証言として語られた内容にはかならずや相違があり、その相違を合理的に突き詰めて妥当な判定をするプロセスが問われる。
 その判定のプロセスのなかでのみジャーナリズムの良心が問われるし、政治運動的なものへの自由が確保される。