まあ、ネタにツッコミなんだが

 ⇒縄文人の勝ち - Chikirinの日記

縄文時代生まれの人
「オレの若い頃は稲作なんてなかったんだ。だから食料は毎日山や川に探しに行く必要があった。食料が手に入らない日が続くと仲間がバタバタ餓死してしまう。だから毎日、生きるために必死だった。それでもオレは幸せだったよ。弥生時代なら米作が始まって高床式倉庫もあったんだろ?そんなんで不幸なはずがないじゃないか。」

 ⇒稲作 - Wikipedia

 日本列島における稲作の歴史は長きに亘って弥生時代に始まるとされてきた。しかし、近年になって縄文後期中葉に属する岡山県南溝手遺跡や同県津島岡大遺跡の土器胎土内からイネのプラント・オパールが発見されたことにより、紀元前約3500年前から陸稲(熱帯ジャポニカ)による稲作が行われていたとする学説が有力となってきた。
 また朝寝鼻貝塚の6000年前の地層からイネプラントオパールが発見されたことによって、縄文時代中期以前まで遡るとする説も出てきて、稲作が生業であったかどうかは別にしても、縄文時代後期・末期頃に陸稲(熱帯ジャポニカ)が栽培されていたことはほぼ確実だと推定されるようになった。水稲(温帯ジャポニカ)耕作が行われる弥生時代より以前の稲作は、陸稲として長い間栽培されてきたことは熊本県上ノ原遺跡出土の資料からも類推されていた。縄文時代の栽培穀物は、イネ、オオムギ、アズキ、アワであり、これらの栽培穀物は、後期・末期(炭素年代測定で4000〜2300年前)に属する。

 このあたりが常識としてわかっている世代とそうでない世代はどのくらいだろうか。現在の20代くらいだとこのあたりは教えられているだろうか。