晴れ・ログイン
心せわしい気分があって、なにか休むという感じがしない。内面的には老いというものはないし、どうもいくつか最近関連の書籍などを読むに言語に依存した能力にはそれほど老化は来ないようだ。しかし、老化がないわけではなく、一番のものは容姿であり、それを自己イメージとどう受け取るかということは、中学生みたいだが、問題は問題だ。しかも、問題としてもどうとなる問題でもない。では、それはただ受容すべきかというと、とりあえずはそうだし、それなりに身綺麗にしておけというのはあるだろう。つまり、またしても社会的対面なり他者との問題で、自身の内省は取り残される。大人になるというのの一つの特徴は、自身の内省をひとまず置くということでもある。関連して、ベルカーブ問題をぼんやりと考えた。いわゆる表層的な議論や批判はわからないではないし、研究方法論上の問題はあるにせよ、intelligenceというのは基本の方法論上はメカニカルなもの、というか機械と措定されるものだろうと思う。言語についてはその問題はチョムスキーからきっちり学んだようでもあるが、General intelligence factorとなると話が難しい。チョムスキー的な考えかたはわからないではないし、構造主義な考え方、つまりピアジェのような暗黙の構造措定もわからないではないが、この分野の外在からの批判として正当とも思えない。
⇒General intelligence factor - Wikipedia, the free encyclopedia
日本人だとあまりこうした議論はなさそうだ。社会の知的な階層に対立する、生物的な絶対性みたいのものは、そもそも思考対象とするのが日本人は苦手なのではないか。あるいは、そうした問題意識が社会的に共有化されないので、かすれてしまう。