昨晩は寝付かれなかった。心労が多いかなと顧みるのだが、実際のところよくわからない。こういうのもなんだが、自分の心というのは自分ではよくわからない部分がある。意外と、れいの五歳児の餓死が気になっていて、心のどこかで、お前の人生はなんのためにあるんだと問われている。とはいえ、現実問題として今の自分の生活圏を超えていくことは難しい。そこが若いときと違うところかと落胆もする。そして、いつも、こうしたとき、ペテロの故事を思う。魚網を引いているところでイエスに出会いそのまま従った。むかし、牧師さんが、この故事に触れて、なかなかそうできないものですと語っていた。若い私は、それに疑いもないし、心情というのはあるにせよ、イエスに会うということ本質がそこにあるのだろうとも思った。愛と死の不意打ちにはとんでもない何かがあるようには思う。つまり、私が固執している日常にどのような意味があるのかは本当はよくわからない。が、恩恵であると思う。