ログイン・雨

 昨晩はちょっとTwitter。実際に自分のつぶやきモードになると、もしかすると誰にも通じてないんじゃないかという感じもする。現実にはたいして面白くもないつぶやきだということだろうし、Twitterというものはそういうもんだというのもあるのだろう。でも、自分が本当に思うことを話したとしても、たぶん、誰も聞いてはくれないんだろうなという思いは子供の頃からずっとある。25歳のころ、その年齢の青年にありがちな失恋や挫折でカウンセリングに通っていたことがある。この話は以前書いたと思う。カウンセリングよりカウンセラーがすべてだった。Wさんというおばさん。今思うと今の私より若い。ふともうお婆ちゃんなんだと思ってじんとくるものがある。彼女は、私の話を一生懸命聞いてくれた。私も一生懸命話した。私はよく曖昧に語ると言われるが、自分では曖昧にも厳格にも語れる。問題は厳格に語ったとき、その概念のマクロ性を追ってくれる人がいないことだ。彼女は丹念に追って、私の心の世界観の相貌を見渡し、ぞっとする孤独の荒野に呆然として、そして私の孤独を理解した。そのとき、私の何かが変わったし、いろいろ思うこともあった。まあ、現実にはそう簡単な話でもない。自分の世界があまりに外界と異なるとき、人は自分の言葉を探し始める。そしてその試みはある意味で狂気の道でもある。それでも、では孤独から出ればよいのだ、わかるように語ればいいのだと、そんな簡単なものでもない。▼夢は見たようだが、忘れた。パソコンに触れる時間が大幅に減りそうな感じもする。どっか別所に夢日記でも付けるかな。ミクシを覗いたがまったくあいもかわらず。私はよく匿名ブロガーとか言われるが、私のようなクセのある人は匿名で書こうがわからないわけもないんじゃないかと諦めているので、書くとするとクローズなものか。まいどこの問題は考えて、なにもわからない。