薄曇り

 新しいものへの抵抗感というのが強くなった。年を取ったということもあるが、どうも自分が経験のデータベースになっていてそこからそれなりの生存の世間知の最適化が自然に実施されてしまうのだろう。そういえば以前、秋葉でパーツやガジェット、ソフトを買うと電車のなかでうきうきしていたものだったが。▼青空文庫が存外に充実してきた。というか、死後50年の作家が増えてきているわけだが、ようするに私の産まれた時代に突入してきたわけで、安吾(1906-1955)とか青空で読めるわけだよな。そして安吾とか読むと文章が若いなと思う。48歳で死んでいるわけだからな。安吾の教祖の文学(1947)が面白い。これ書いていたころ安吾は40歳くらいだろう。安吾は壮年で死んでしまって老人の相貌がないが、小林秀雄の場合は80歳過ぎの顔も浮かぶし、あのしわびたお魚みたいな顔にその思想が収斂したふうでもあるし、まあ、最後はまさに御教祖様になったと言ってもいいくだいだが。小林の生まれは1902年。安吾とは4歳違い。30代くらいなら同年だし、その交流というのはいまのはてなダイアリーみたいなものだし、教祖の文学ですらまさにはてなを読んでいるような若さがある。と、眺めている俺は確実に50代ということなんだよな。がっちょん(ワザトのボケです為念)。漱石も若いなぁ。若いって、人生の前半ってこういうものなのかという眺望のような感覚がある。つまり、それが老いなのか、老いへの道なのか。自分の文学的な嗜好もまた、それを越えたあたりにもシフトしてきている。春樹の文学も、若そうに書いているし、実際に若々しいとはいってもいいのだが、実はこっそり老いの眺望が含まれているなとは感じる。▼夢は覚えていない。朝ドラの初回は見た。早くも挫折か。