そういえば白洲次郎をネタにしたNHKドラマだが

 ⇒大友啓史監督 ロングインタビュー1 | NHKドラマスペシャル 白洲次郎

 本当にそうであったのか考えるとせめぎ合いがあるんですが、総理大臣である近衞(文麿)さんに対して直に「あなたは間違っているんじゃないか」と言うシーン。2話だと赤紙が来た後に、「僕は兵士として戦争に関わる人間ではない」と言うシーン。一歩間違うと一般的には傲慢とも、卑怯者とも受け取られかねない台詞を彼に言わせているんです。それは彼の信念なわけですね。卑怯者と受け取られても構わない、自分の思ったことを言うんだと。本当にそう言ったかは分からない、フィクションとして作っているのでね。でもやっぱり僕らが思うプリンシプルを大事にする白洲次郎ということで言うと、そのシーンに僕らが作った白洲次郎像が出ていると思います。

A.どうやって“本物感”を出すかが一番で、白洲次郎さんも正子さんも“本物を見極める目を持った人達である”という評価を受けていて。もちろん着ているものも、若い頃からイギリスのケンブリッジで超一流のものを、考え方も含めて触れてきた人なのである種人生の目利きであったことは間違いない。フィクションなんだけど“本物感”をどう出すか。彼らの住まい、服装、佇まい、周りで動いている(エキストラも含めた)人たちの有り様を、“いかに薄っぺらくなく見せるか”というのが、各方面から注目されているネタだけに一番のポイントだったと思います。

 ⇒大友啓史監督 ロングインタビュー2 | NHKドラマスペシャル 白洲次郎

 決して、彼を持ち上げるだけ持ち上げるという意図もありませんしね。ただ、今生きている僕らが学ぶべき点が、数多くありますからね、彼の信念を貫いた生き方の中には。それを、二元論的な、しかも道徳的な善悪で判断するのはドラマの仕事ではない。人間であれば、誰もが複雑な様々な顔を持っている。その清濁併せもった、複雑な次郎さん像を描くことが、フィクションの仕事だとは思っています。

A.“本物”を追及していたら、時間もお金もいくらあっても足りない。その中でいかにフィクションとしての嘘をつきながら白洲次郎に向き合っていくのか。これだけ活動が多岐に渡る人物になると、武器になるのはそれぞれのスタッフ個人の(俳優部も含めての)美意識になってきます。

A.歴史的な評価がちゃんと定まってる人ではない部分もあり、そのへんの怖さはあるけれど、だからこそフィクションとして自由にいける部分もある白洲次郎目線で見るからこそ、戦後最大の宰相である吉田茂も一般的な評価とは別の描き方で描けるし、近衞文麿も、日本を戦争に導いた指導者という見方ではない、もっと人間味のある目線で一国の指導者を見つめていけるわけですよね。なぜかというと次郎さんは彼らと政治家として付き合ったわけではない。もっとプライベートな感覚で付き合った人だから。プライベートな吉田茂像、近衞文麿像にアプローチしていける、人間像に踏み込んでいけるという意味でも、白洲次郎さんの存在は大きいと思っていました。