償還呪文
紅茶の細かい話は、温度調節が別っていう茶葉があることでしょう?
中国茶や紅茶はたいていは沸騰した湯でOKだから、日本茶やシルバーチップスより入れやすい。
日本茶は実は温度管理がけっこう大変。また葉のヨリを見ないと出が予測できない。上等な煎茶だと、中国茶の茶船とは違って、湯ざましというのが要る。
すすり茶なんかも感動的だけど。
湯冷ましの代わりに陶器の急須を水で洗っておいて、そこに沸騰した湯を入れ、温度を見計らって、茶を入れるというか、上投法というのがある。中国茶でも黄茶でやる。
え?
そんな話、償還してねー?
それなのに、なんなんだろうなこの落ち込みは。
身も蓋もなくいうと、自己愛なんだよね。
過去の女というより、過去の自分を愛しているっていうことで、その愛せちゃう過去の自分っていうのがそれだけで幻影なんだけど、それが今の自分をどっかで支えてもいるから、忘れろとかすると、なんかばボキっと折れたりする。というか、過去が幻想じゃなくて、そのとき、なにか本当に生きていたというか生きられたというか若い日があったみたいな、奇妙なresidueというか。
結局は、少しずつ自分を失う、失われた自分に涙する、なんかそれって自己陶酔みたいに聞こえるだろうけど、ああ、オレ、少しずつ死んでいくなみたいな、そういう正しい、哀しい喪失みたいのが結局救いになると思うよ。
いつか、泣けたら、涙が涸れるなぁみたいな瞬間に出会えたら、まあ、救われるよ。
追記
⇒はてなブックマーク - 償還呪文 - finalventの日記
hygienic 愛は全部自己愛の変形なんだってさー 2009/09/12
知らなかったら、今からでも遅くないから、覚えておくとよいよ。
REV 社会化された自己満足は珍重され、社会化されない自己満足は煙たがられ、自己満足を否定するだけで何もしない人より、自己満足のための行為が、ほんのり社会に役だっている人の方が好まれたり。 2009/09/12
という社会評価を餌に自己愛が膨らむのですよ。「社会化された自己満足」のような、自己の外側の客観世界というのはないし、まさに愛の関係というのはそういう客観性を相互的に砕くところに意味がある。では、どこに自己愛への洞察が生まれるかというと、たぶん、そこがある種の罪責感というか、自己欺瞞への無意識からの知らせのようなものです。
Midas 愛は自己愛←アホかwこういうのを「いわずもがな」とよぶ。正確には愛は確率 2009/09/13
まあ、愛は確率というのは、歴史総和的な意味を含むから、よくわかるけどw、実は人間が認識できる確率というのは、マインドセットのフレームワークの中の意味了解だから、結局、愛は確率じゃなくて「運命」とかに翻案されて、そしてまた自己愛に吸着されちゃうんです。
つまり、その構造全体をひんやり見ることができれば、愛の確率ゲームを高めるのはマインドセット側のフレームワークをできるだけ柔軟にしておくこと。つまり、やっぱり、自己愛の削減。
ただ、もうちょっというと自己愛の削減から見えてくるものは、自分という一種の野獣ですね。男も女も、動物なんだ、というか。遺伝子ドライブなんてやだというのは自我の視点からはいやなものだけど、でも、動物なんですよ。ちんこまんこちんこまんこの世界。というか、その動物の哀れさのなかで人間愛とか愛とか再構築できるかが、実は人間の寿命が無駄に長い意味なんだろうと思うけど、まあ、50過ぎないとわからんでしょ。