Googleが革命的なのはおそらく"The Impartial Spectator"に新しい次元の可能性を開いたことなんだろうと思う

 "The Impartial Spectator"というのも実際には、ミラーニューロンじゃないけど、各人の憶測のトランザクションの総和みたいのがあるのだけど、このトランザクションの幻影として"The Impartial Spectator"というものが逆に止揚されてくる。
 このトランザクションの情報的な側面、特に参加的情報がIS(Impartial Spectator)を形成するかもしれないという止揚の地平をGoogleが見せたことで、一度それを見た人類というのはもう二度と元には戻らない。
 その新しいかたちのISは、おそらくCI(Collective Intelligence)とは違ったもので、むしろCIのほうはタレブがバカにしまくっているおばかなんじゃないか。というとあたりで、それはなんだろということなんだけど、一つには、Google的知性への信頼というものがあるのではないかな。というか、それが一つのモラールとなるということの例証としてGoogle広告屋さんとして、現状の資本主義の経済に現れているということなんだろうと、思う。
 まあ、この問題はちょっと自分でもうまくまとまっていないけど、実際にネットのなかで知性として存在するということは、GoogleにPlugされているということが事実上含意されてしまっている。
 もともと知識というのは書籍とかの形で外部記憶的なインテリジェンスを必要としていたのだけど、ここでもその一種の内的なトランザクションGoogleがある本質変化をもたらしてしまった。
 ちょっと話がそれるけど、Google的な知性にある信頼が起きることそれ自体がこの新しいISの本質に関わっているのだろうと思う。これは、たぶん、数学と数学集団のような演繹的な知性への信頼に近いものではないかな。
 基本的に既存知識とそのトランザクションからある評価やバイアスというのは形成され、そこまででCIは形成できるし、モデル化されるのだけど、Google的ISというのはそれを越えていて、それが「公」的なある信頼性を幻影化させる。
 ごく簡単なことでいうと、政府というのは官僚機構だし、官僚機構とは紙の束だし、つまり情報手順なわけで、そこは事実上Googleに置き換わりえる(地方行政はGoogleにかなりアウトソーシング可能)。