小雨が降っている。眠りが浅い。夢も覚えていない。本を読み、音楽を聴き、散歩し、物思いにふける。まあ、それがこの自分が生きているということだ。ふと、アンジェラ・アキの15歳の君へ、というのを思い出した。彼女のせいではないが私はあのタイプの女性が苦手で(感情の激しい人が苦手、概ね欧米人・中国人は苦手)曲も聞かない。つばさのテーマも飛ばして聞かない。が、ふとそのパロディを作った。ネタのつもりがどうも洒落にならない。

手紙〜拝啓 十五の君へ〜
 
拝啓 この手紙読んでいるあなたは どこで何をしているのだろう
 
十五の僕には誰に話しても 通じない思いがあるのです
 
未来の自分に宛てて書く手紙なら
きっと素直に打ち明けられるだろう
 
今 負けていて 泣いていて 消えそうな僕は
誰の言葉を信じないままでいいの?
ひとつしかないこの体が何度もばらばらに割れて
苦しい中で今を生きている
今を生きている
 
 
拝啓 ありがとう 十五のあなたに伝えたい事があるのです
 
あなたにはつらいことかもしれないけど あなたは生きていく
 
荒れた青春の海はしょっぱいけれど
明日の岸辺がなくて 夢の舟にさまようけど
 
今 負けていて 泣いていて 消えてしまいそうな時は
死んだ人たちの言葉に耳を傾ければいいの
大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど
山頂へ岩を転がしている
 
人生の全てに意味があるとか 気負わずに進んで
Keep on going
 
拝啓 この手紙読んでいるあなたが
それでも生きることを選んでいたことを
私は感謝している

cover
シーシュポスの神話 (新潮文庫): カミュ, Albert Camus, 清水 徹

神々がシーシュポスに科した刑罰は大岩を山頂に押しあげる仕事だった。だが、やっと難所を越したと思うと大岩は突然はね返り、まっさかさまに転がり落ちてしまう。―本書はこのギリシア神話に寓してその根本思想である“不条理の哲学”を理論的に展開追究したもので、カミュの他の作品ならびに彼の自由の証人としてのさまざまな発言を根底的に支えている立場が明らかにされている。