読売社説 民主「西松」報告 検察・報道批判は的はずれだ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 報道のあり方について、報告書は「検察情報に寄りかかった報道」などとしている。
 しかし、報道機関は、検察当局だけでなく、さまざまな関係者への取材を積み重ねている。客観的かつ正確な報道を期すためだ。批判は当たらない。

 マタイ23:29を思い出す。

偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。

 読売新聞は自らが偏向報道の主体であったことを自分で証明しているの類に思える。
 自分が義であることを申し立てることで人は自身まさに不義であることを語ることがあるものだ。