ブログ観みたいなもの

 ⇒[Blog]自分の愛すべき文章が消えた時、このネットの世界は荒野になる - kuroihikariの日記
 私もいつかブログの世界から消えるのだろうなと思う。どう消えるのかとしばし考えることは多い。突然の死によって途切れるか、私が終了の辞を書くか。黒光さんが思っているだろうように、ブログを終わりを言い渡した「私」とはなんだろうとは思う。
 私は、別段ブログを書かなくても生きているというか、私の生活者の一面はあまり書いていない。6年近く書きながら、いつのまにか「爺」ステータスな、役作りの気持ちもないではないし、「匿名」で書いてみたい気もしないではない。うまくいえないが、ブログで表現される「私」は私ではない。
 まあ、基本的にはなるようになるしかない。

ホノムラさんとか、yukiさんとか、noon75さんとか・・・ 面白い過去ログが消えてしまった個性派ブロガーさんたちは、自分の渾身の・愛すべき文章たちが消えたあとのネットの世界を見て、一体なにを感じたのだろう。

 わからないが、愚かさを思ったのではないかな、つまり、ブログの世界に残る愚かさというか。そして、私についていえば私は愚かだと思う。それと、ごく率直にいえば、これは優越感というのではないけど、私には私の強さというのがありそうだ。私語りになるが、私は弱い人に見られることが多い。いや実際にあれだこれだ、そうだろ、打たれ弱いだろ、とか。ただ、私は私という人間をそれなり半世紀冷やりと見ている(食えない、やなやつだなと見ている)。その中では、こいつには卑怯者にも似た強さがあるかもしれないなとは思っている。自分が強いと自分で思うという意味ではない。

以前テレビで宝塚の星組トップスターが「同期は大切」と言っていた。それはブログの世界でもそうだと思う。自分がブログを始めて、そして出会い、トラックバックを飛ばしあい・何度となく言及しあったブロガーたちは、自分にとってのかけがえのない同期なんだと思う。自分が同期だと勝手に思ってるだけで、実は相手のブロガーさんはブログ歴がかなり長かったりもするんだけど、でも自分がブログでの活動に最も比重を置いていた時期にかかわりを持ったブロガーさんたちは皆、同期のように感じられる。

 それはそう思う。
 そして、私はそう思いつつ、振り返りもするけど、それでも前に進んでいく。
 私は傍からみたら前に進んでいるのではなく後退しているように見えるかもしれないし、錯誤の道にあるのかもしれない。
 でも、なんとく前に進んでいく感じはする。それなりにいろんなものをなぎ倒して。
 なぜかのかわからないけど。
 私は、うまく言えないけど、前に進んでいくとか、強いというのではなく、いろんな人、愛する人もに捨てられていることに慣れ、そしてどこかに恨みつつ許して忘れていこうとしているのではないかとも思う。
 私が忘れられないために書いているより、私を忘れた人がその道を行くとき、私は私で別のように見える道をただ進むしかないということかもしれない。
 ネットの世界にも長いせいか、賛意を示してくれた人が手のひらを返したように憎悪を向けてくることもなんどか経験した。自分にその原因の一端はあるだろうが、自分が自分でしかありえず、そして前に進むときに必然的にそうなるなら、その憎悪を受けるしかない。