ちょこっと

 もうあまり言うことはないだろうし、私をネットウヨ認定する人もいるみたいで、ネットウヨ反韓嫌韓という連鎖になってそういうイメージを投げる人もいるだろうし、実際、表面的には親韓とは見えないだろうし、そうでもないかといろいろ思いはする。ただ、極東ブログをもしきちんと読まれている人がいたら、私が朝鮮にいろいろ思いを持っていることがわかるかも……いや、それこそが甘えというものだな。
 ⇒極東ブログ: トラジ、トラジ
 私の父は10歳から20歳まで朝鮮で過ごした。物心つくころから朝鮮にいた。日本人コミュニティにいたともいえるが、当時の朝鮮は、異論もあるだろうが、日本人コミュニティに朝鮮人を内包している部分もあり、必ずしも対立的ではなかった。このあたりの微妙な感覚は五木寛之の「風に吹かれて」にもある。
 ⇒「 風に吹かれて (角川文庫―五木寛之自選文庫 エッセイシリーズ): 五木 寛之: 本」
 五木は父より若いのでもっと子供っぽい見方ともいえるが。
 父の精神形成は、そういう意味では内地的ではなかった。気風もそうであったように思う。朝鮮人は二歳ごろから千字文を勉強するんだ、偉いぞとも言っていた。子供のころ私は父に「パパは朝鮮人?」と聞いたことがある。父は、違うと答えたものの、困っていたようだが、怒りもしなかった。父は朝鮮語はしゃべれなかったが、聞いてはわかるようだった。一緒に電車に乗っているとき、向かい側で朝鮮語で大声で話す人がいて、あとからこういう話をしていたと教えてくれたことがある。
 父の家族はその祖父を含めて、祖父の伯父の大家族のなかに含まれていた。そうしたあたりも朝鮮的ではあった。実際朝鮮人も含まれていた。父が死んだとき、韓国からその一人から父の死を悼む電話をいただいたことがある。政府高官になっていたらしい。