快晴

 富士山は普通に霞んでいる。世の中は仕事始めだがまだ正月気分がうまく抜けない。というか、自分は読書引きこもり状態がなかなか抜けない感じか。夢は見たが覚えていない。朝のラジオのニュースで意外な話を聞いた。
 そういえば、飯島愛の死も永田寿康の自殺も、もう過ぎ去った話題のように見える。そしてその奇妙な無関心さには、世の中というものの、ある意味では公平な残酷さのようなものがないわけではない。彼らは孤独だったと思う。そしてその孤独を癒してくれる自然的な、あるいは啓示的な介在などなかったということだろう。そしてそれはいつだって誰だって己の鏡のように脅迫されるようななにかだ。
 永田メールについては、私は世間の人がいうような偽メールではないと思っている。では何かということが言い難い。いずれにせよあのメールを誰が作ったかがついに問われなかったのはおかしなことで、もし永田元議員が心労したとすればそこになにか要因はあるだろう。
 人と話していて、そしてでも自分がふと不謹慎にも笑ってしまったら、30半ばまでこの人挫折って無かったのかなという話になった。そこはわからない。意外と普通に離婚の苦しみだったかもしれない。