産経社説 【主張】佐藤元首相発言 核オプション放棄できぬ - MSN産経ニュース

 今回の佐藤発言をもって、首相が「核戦争を容認している」と断定することは短絡的ではないか。むしろ、米側文書では大統領が「米国の核抑止力を必要としたときは、米国は約束に基づき防衛力を提供すると述べた」とある。
 佐藤首相は「それが問いたかったことだ」と述べており、首相の最大の戦略意図が「核の傘」を確実なものにすることにあったとみるべきだろう。

 沖縄の意味も問い直さないといけないのだけど。というか、問題は過去を責めることではなく、なぜこのダラダラした戦後が続いていたのかとうこと。

 ところが2年前に、当時の中川昭一自民党政調会長が「核の議論があってもいい」と言っただけで非難ごうごうだった。日本の国防観に従えば、自国の「防衛力」は許容できても「抑止力」は米国任せということである。
 ここでいう抑止力とは防衛能力を通してではなく、相手が脅威を感じる攻撃能力があってこそ可能になる。その役割は日米同盟によって米国が担う。日本の悪夢は、その米国の「核の傘」が有効に働かなくなったときである。
 核論議も許されないなら、米国から破れにくい「核の傘」を引き出すしかない。あらゆる事態を想定する安全保障を考えるなら、日米同盟が自壊した場合も議論する必要がある。目的はあくまでも日本の抑止力の強化であり、核のオプション(選択)まで放棄する必要はない。

 フリーランチはない。目を瞑ればそれだけ歪みはくる。核は放棄するしかないが、稚拙にそれを主張するだけで通じるものでもないことは北朝鮮の核化でもわかる。