今日の一冊 「地図のない道」須賀敦子

 福岡伸一さんの私の1冊「地図のない道」須賀敦子 | NHK 私の1冊 日本の100冊

cover
地図のない道 (新潮文庫): 須賀 敦子: Amazon.co.jp
 たぶん、須賀敦子福岡伸一を出すための企画だったのではないか。
cover
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891): 福岡 伸一
 この本はざっと読んだが、トンデモ本?とも思った。そういえば、「もう牛を食べても安心か (文春新書): 福岡 伸一: Amazon.co.jp: 本」もそう思った。ただ、これこれだからトンデモですなというにはめんどくさいなとも思った。「生物と無生物」の帯の推薦者が面白いので画像を大きめにしておこう。最初からそういう趣向だったのかな。
 こういうとまたぞろ悪口みたいだが、須賀敦子福岡伸一も編集者好みの著述家だ。ついでにいうと、模擬先生も内樹先生もそうだ。こちらはなにより他作で安定して捌けるのがうれしい。
 福岡伸一については以前の爆笑問題の対談のほうが面白かった。なんだかんだ言ってもまだこの人の思いはうまく引き出されていない感じがした。今回の番組でも、福岡が須賀に心惹かれるのは信仰の部分だ。そこがたぶん制作者にはそれほどよく見えていない。見えていたらこうベタな語りにはしない。
 編集者というのは、言うまでもなく、一流の読者でもあるが、それがビジネスである部分、汚れたり偏執的になったりする。本が好きなら編集者にはならないことだと気が付くとき、その業からはもう出ることはできない。いや大衆文学の場合はそうでもないか。業というなら、安原顯がうかぶ。
 余談の連想だが、このところフーコー吉本隆明の対談を見直そうという動きがあるが、あの企画をもってきたのは安原だったか、通訳は蓮実重彦だったと思う。オリジナルは残っていないらしい。あの対談は、端的に評価するなら、吉本はただのローカルなおバカな思索者でしたということだろう。そのことは蓮實には実感されたし、それはそもそもフーコーになんにも通じていないことで確信されただろう。浅田はこの件への言及はないが、端からくだらないなと思っていたに違いない。問題は、おそらく蓮実の心情だろう。それなりに二者の意味がわかっていた。そして通訳としては上質だったと言ってもいいはずだ(ただ、そこにある種の決定的な問題がひそんでいるとは思うが)。蓮実は吉本の悪口をそれなりの気品で書いたことがある。そして彼のエピゴーネンがそれをまねたとき、実は蓮実は内心怒っていたというかバカだなと思った。吉本さんの言うことはめちゃくちゃだけど、君たちよりぜんぜん面白いんだと。別か所で、吉本さんは怖いとも言った、天皇に怖いところがあるように。もちろん、その怖さの意識も通じないだろう。
 吉本は蓮実を世界的に見れば二流の学者だね、お前さんはというふうに軽く見る。蓮実はそれを実質受けて、その分野ではトップの5に入るのだと言ってのけたが、吉本なら、はは、学生さんならそれを真に受けるでしょうなと笑っただろう。この機微は、蓮実はたぶんそれに怒ることなく、その意味を知っていることだ。蓮実の怖さはアカデミズムの限界を知っていることだ。
 話が全然それた。
 須賀敦子には関心がわかない。今回朗読を聞いてもそう思った。嫌いなタイプの作家ではないし、読みやすそうなので、読むかもしれない。