CSMはだね雑談

 ⇒asahi.com(朝日新聞社):米有力紙が「紙」から事実上撤退 ウェブ中心に - 国際
 まあ、そうかな、なのだが。
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2008年10月29日 TKO_CO_LTD web, マスコミ, 新聞 ところで…クリスチャン・サイエンス・モニターってどんなバックグラウンドを持つ新聞なの?ID論バリバリの新聞なんですか?(さすがにそれはないか)

 ⇒クリスチャン・サイエンス・モニター - Wikipedia

クリスチャン・サイエンス・モニターという紙名にもかかわらず、この新聞は宗教紙として創刊されたものではなく、またクリスチャン・サイエンスの教義を直接宣伝しようとしているものでもない。しかしながら、創始者エディの要請により、日常的な宗教関係の記事が毎号載せられている。

 もうちょっと好意的に書いてもいいかも。
 英語も軽いか⇒The Christian Science Monitor - Wikipedia, the free encyclopedia
 ちなみに。
 ⇒メリー・ベーカー・エディ - Wikipedia

メリー・ベーカー・エディ(Mary Baker Eddy,1821年7月16日 - 1910年12月3日)は、1879年にクリスチャン・サイエンス教会を設立した人物である。メリー・モース・ベーカー、エディ夫人などとも称される。

1908年、87歳の時、彼女は教派とは無関係の日刊新聞『クリスチャン・サイエンス・モニター』を創刊した。

 で、それはそれとして。
 ⇒クリスチャン・サイエンス - Wikipedia

クリスチャン・サイエンス(Christian Science)は1879年、メリー・ベーカー・エディ1812年〜1910年)によってアメリマサチューセッツ州ボストン市に創設されたキリスト教系の新宗教。「科学者キリスト教会」あるいは「キリスト教科学」と称されることも多く、またニューソートの一派として扱われることもある。

 この書き方はちょっと微妙かな。
 ⇒Christian Science - Wikipedia, the free encyclopedia

Christian Science has no connection with Scientology, and it should not be confused with theological, material or physical science. Christian Science is distinct from Christian fundamentalism. Despite apparent similarities with some of the following, specifically in the beliefs on healing, Christian Scientists do not identify with New Thought, Religious Science, Theosophy, Eastern, Holistic thinking or New Age.

 英語のほうではNew Thoughtとは分けている。まあ、それもまた微妙という面もあるにはある。
 ところで。
 ⇒生長の家 - Wikipedia

創始者生長の家では開祖や教祖の名称は使われない)の谷口雅春は、早稲田大学中退後、紡績会社勤務を経て1918年に大本(大本教)に入信。文筆の才を買われて機関紙の編集主幹などを歴任する。この頃に当時大本に在籍していた江守輝子と出会い、1920年11月22日に結婚。宗教観の違いにより1921年の第一次大本教弾圧事件前後で教団を離れる。1923年に関東大震災に遭い、妻・谷口輝子の実家である富山に身を寄せ、同地で10月10日、長女の谷口恵美子誕生。

 で。

その後、同じく大本を離れた浅野和三郎が主宰する『心霊科学研究会』で活動し、同じ頃に当時 アメリカ合衆国で隆盛を極めていたニューソートの著作に触れる機会を得、影響を受ける。当時谷口雅春外資系の会社であるヴァキューム・オイル・カンパニーに就職し、勤務の傍らで様々な宗教・哲学思想家と交流をはかっており、代表的人物には一燈園西田天香らがいる。

 これが戦前。このあたり研究されているのかよくわからないけど、谷口雅春はクリサイにけっこう傾倒していた。

戦時中は紙の配給が止まり、『生長の家』誌の発行も一時停止する。その間も「皇軍必勝」の短冊を作り配布する等した。終戦を迎えるとすぐさま再び文筆活動をはじめ、GHQの統制に対して、生長の家古今東西の思想の極地を説くものとして、西洋思想家の著作の翻訳活動を行う。この翻訳作業の助手の募集を新聞広告で行っているのを見た人物の中に、後に谷口雅春の養嗣子となり、第2代総裁となった荒地清超(後の谷口清超)がいた。

 戦後まだクリサイ的な要素があった。
 いわゆる右傾化はその後の現象のようだ。

1949年に生長の家教団として宗教法人格を得て、組織の再構築を行い拡大化。その後は、妊娠中絶に反対するなど宗教の分野以外でも積極的に活動する様になり、伊勢神宮の神器の法的地位の確立(一宗教法人の私物ではなく皇位継承と特別な関係のあるものと主張)や靖国神社国家護持運動などに取り組んだ。

 こう書くと49年には右傾化したみたいだが、たぶんそうではないだろう。
 宗教史的な流れでみると、大本教の、いわゆる第二次大本事件とその時代のクリサイというのがあるのだろうと思う。まあなかなか微妙なんだが、戦前の日本はけっこう欧風というか米国風というか近代・科学的な部分があって、クリスチャン・サイエンスがサイエンスという含みと関係する。
 以前に書いたが、スーパーマンだの思想の根っこもこのあたりにある。
 ⇒スーパーマンの考古学 - finalventの日記
 ⇒戦前の米国科学のトンデモについて少し - finalventの日記
 日本の右翼というか右派というか、そういうのは擬古を装っているし、左派からはそのように批判されるのだが、いわゆる国家神道的な動向というのは、昭和の、意外に短期的な現象ではないかと思うし、その国家神道と言われ、明治国家とか大日本帝国憲法など連携されて見られている部分は、どうも宗教史・思想史的に見ていくと、民衆の新興宗教の動向と類似している。
 現状大本の研究はあるのだろうが、その全体構図というのはよくわからない。あまり研究されていないのではないか。
 こういうとくどいし、誤解されるのがオチなんでなんともだけど、いわゆる国家神道的右派の歴史で見ても、明治以降の近代国家のナショナリズムの宗教性というのはわけわからなくなるんじゃないか。