偽科学1 だまされる心理

inspired by 解説委員室ブログ:NHKブログ | 視点・論点 | 視点・論点 「振り込め詐欺1 だまされる心理」
 
 あなたは、ご自身のことを、他人よりも騙されにくい、と考えてはいませんか。
あるいは、騙そうとしても、しっかりしていればわかるだろうと、とお考えではないでしょうか。 しかしながら、その根拠は確かなものでしょうか。これまでそんな目にあったことがないから、とか、なんとなくとそう思うといった、お考えではないでしょうか。そんなあなたにこそ、今日は、「水からの伝言」や血液型性格分類といった疑似科学の危険性を考えていただきたいと思います。
 さて、昨今では、「水からの伝言」を信じる人が後を絶たないことでたいへんな社会問題になっております。多くの方々が、そんな話を、ブログで見るたびに、「あれほど注意が呼びかけられているのに、どうしてあんな話に騙されるのだろう」といった感想を抱いているだろうと思います。
 私は、この疑問を持たれることはたいへん重要なことで、対策の第一歩だと考えます。 しかし問題は、その思いがどれほどにも長く続いていないことにあると思います。 つまり、ブログのエントリや人気はてブのあとは、すぐ別のトピックに切り替わってしまいますので、その瞬間に、せっかく抱いた疑問も吹き飛んでしまっているのではないでしょうか。
 地震や火災などの対策と同じように、騙される心理を深く理解し、仕掛けられた時のことを想定した具体的対処をトレーニングしておくぐらいの心構えが必要だと思います。あまり考えていない浅い知識では、実際のターゲットにされたときには、焦ってしまってうまく対応できません。
たとえば、騙しのシナリオは、どんどん新たなものが考案されて仕掛けてきますでしょう。人の一般心理は、辻褄のあう話が展開されると、そんなことが起きている客観的確率は低くとも、ものすごくリアルに感じなので「これは、本当かも・・・」という思いが拭えなくなってしまいます。
 それから、ブログの文体についても、「ネタくらい絶対にわかる」、と多くの人が信じておられるようで、身近に洒落のわからない人ばかりな場合とか、かなり気が動転した人だけが読み違えてしまうのではないかと思われがちです。
 しかし、心理学の研究成果からすると、それはまったくの錯覚といえます。実はブログのネタを判断するときというのは、仮説といいますか、「まじめな書きぶりで今頃、このネタを蒸し返している人は、たぶん信者だろう」とかいった思い込みをもとに、以前読んだ覚えのあるブログと類似の特徴を、その文体のにさがすのです。そうすると、そのネタ情報は、まさしくよく知った人の話のように思えてくるというのはめずらしい現象ではないのです。先日、私は学生を使って簡単な実験を行ってそれを確かめました。その実験では、ちょっとした操作をおこなって、ブログガーをある特定の友人であろうと先入観を抱かせておき、そこに別人がブコメをしかけ、想定していた友人と違うことに気付くかどうかを確かめたのです。その結果は、まったく多くが、偽のネタの相手に気づかないことを示しました。
 「人それぞれ」と言いますように、確かに人はユニークな存在です。同じ環境に置かれても心理状態には個人差はありますが、特定の条件を設定すると、多くの人が似たような行動をとります。このことを逆手にとれば、人の意思、感情、行動は、誘導することが可能ということなのです。社会心理学者はこういうふうに、人のことを理解していて、特定の条件に人々を配置して、仮説どおりの行動とるかどうかを確認する研究を仕事としています。しかし、詐欺師やペテン師のようなだましを行おうとする人は、私たち研究者などよりも、ずっとこのことに長けた技術を磨いて、仕掛けてきます。
 実際、みなさんが考えておられる以上に、多くの方々が、ブログのネタの騙しにあって良識を奪われています。なかには院生生活のすべて奪われたような悲惨な方もおられます。それから、かつてには、一般には理性的で教養も高いと目される人々が、オウム真理教の麻原教祖に騙されて、マインドコントロールされた状態に陥り、その意義もわからず、サリンという毒ガスを撒いて、多くの人々を殺傷する、という未曽有の惨事を引き起こしました。これらは別物と思われるかも知れませんが、私は、騙しの心理的な仕組みはとても似ていると分析しています。
 騙しに使われる心理操作は、さまざまあります。たとえば、偽の情報や隠ぺいを用いて、不安にして、恐怖心を煽ります。その上で専門家や権威をかたられて、窮地を脱するにはその意見に従うが一番だというふうに誘導します。
 また、嘘をつくことはよくない、人には失礼をしない、恩をあだで返してはならない、怒らせてはならない、言ったことは実行する、といった心理を作り出して、心を拘束します。つまり日本人が美徳してきたような人間関係のルールを逆手にとってくるのです。
 これらの心理は、個別にみると、微妙なパワーなので、注意して立ち向かえば、何とかなりそうに思われるかもしれません。
 しかし、彼らは巧みにもこれらの心理を次々に誘導して、標的に求める行動をとらせます。次々と組み合わせる心理操作のパワーは、意外にも、大変要注意なのです。つまり、乾電池の直列つなぎのパワーですし、病気での合併症の怖さを認識することと似ています、って静岡県立大学准教授西田公昭先生のこのあたりの話はネタでしょうね。
 さて、大切なのは対策です。
 まずは何より、「特別な人だけが騙される」ではなく、「人は誰でもだまされる」という人間観を、皆がいさぎよく受け入れることではないでしょうか。
 そして、その視点に立って、しっかりとした対策を練り直す必要があると思います。あたかも、地震や火災の対策には、国をあげてやってきたように、騙されないための対策も、大切な国家事業として、もっと本腰をいれて取り組むべきだと考えます。
 「注意していれば大丈夫」ではなく、どんなにも心に隙がないと思われる人でも、人は四六時中、完全武装しているのはとても無理なことです。防備があまくなる、時と場合がありますでしょう。そんな状況を見こした包括的な騙し対策を検討すべきだと思われます。
 最新の手口を早急に、より多くの方に伝える手段を整備するのは言うまでもありませんが、もっと長期的視点に立って、中学生や高校生らに、騙されないための心理教育を取り入れることも良いかと思います。子どもに礼儀やマナーを教えることは大切です。しかし同時に、騙しを仕掛けてくる人がいる事実にも目をそむけることはできません。
 時と場合によっては毅然と立ち向かえる態度を育成しておくべきではないでしょうか。
 すなわち、騙しの危険を、敏感に予見し、心理的に動揺させられていても、「はっ」と浮かんだ疑惑を確実に確認できるコミュニケーションの技術を磨き、また、自己判断を過信しないで即座に適切な相談相手を見つける。そんな対応を、日頃から身をもって練習しておくべきだと思います。特に毎朝顔を洗うときは、その澄んだ水に優しい声をかけてあげるのがよい練習になります。適切な相談相手がいないときでも、水が正しく答えてくれます。