またこの手の増田小町

 ⇒32歳処女だけど、少なくとも私の場合は選択の結果の処女だな。
 ぶくま⇒はてなブックマーク - http://anond.hatelabo.jp/20081011173228

2008年10月12日 koyata08 はてな匿名ダイアリー, sex 恋愛とセックスを切り離さないという自己決定をしている場合、セックスが自己決定だけではどうにもならない問題になる。恋愛とセックスとを必ずしも結びつけないという自己決定もあり得える。

 これが「自己決定」の問題なのかというとスコープをその自己「自分」にとるならそうなんだろうけど。
 現実にはこれに、材というか社会ステータスと、子が関係する。「自己決定」の「自己」って実は関係性の幻想。
 材というか社会的ステータスのツールとしての恋愛あるいはおセックスというとき、つまり、それを「自己決定」したといえるのか。どうもこのあたりは、古典的な自己疎外の問題がありそう。
 また、「恋愛とセックスとを必ずしも結びつけない」場合、それは子の無意識に必ず影響を与える。親の愛が必要だとは言わないが、子にはそう自己決定性はなかったりする。親の「自己決定」は子供の不運。
 恋愛もセックス(欲望・快感)というもの幻想で同じだというのだけど、これはだから自己決定の問題といいえるのか、というのは、恋愛も、おセックスの欲望も、自己にとっては、「それがお前の幻想の欲望なのだ」と迫る外来性がある。
 この外来性のなかにどのように人が生きるか、つまり、死ぬのかということで、普通は、子という命の連鎖のなかに解決するように人間はしくまれている。
 つまり、自己決定というのは、死の問題だといえるし、その死に対して、恋愛やおセックスの幻想による乗り越え、あるいは材・社会という乗り越えが可能か?
 可能は可能だとも思うが、それに絶えられる人は僅かというか、この手の思想は一種の思想的なペストのような感じもしない、宿主を殺してしまうという意味だけだが。