じっくりと調べるといいと思うよ

 ⇒Kousyoublog | ユダヤ教を唯一神教化させたバビロン捕囚とはなんだったのだろうか

そういう現代の状況を考えると、「バビロン捕囚とは、当時のユダヤ人にとって何だったのか。」というのは世界史の最大のテーマの一つかもしれない。選民思想と排他性を持った信仰を、何故持たねばならなかったのか、持たざるを得ないという心理に至ったのは何故か、というのは実のところ、我々にダイレクトに結びついてくるテーマなんだと思うなー。これ、じっくりと調べたい。じわじわと影響し合う歴史もあれば、このように一つの出来事が余りにも大きな影響を後に与えることもある、というのは歴史の醍醐味の一つであり、それは個人の人生にも言える、とおもう。

 じっくりと調べるといいと思うよ、きちんと歴史的に、書籍とかで。

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古代ユダヤ教 (上) (岩波文庫): マックス ヴェーバー, 内田 芳明
 今となっては史学的には古いんだけど、ヴェーバー先生、資料を読む読むっていうか、ラビ文献とかよく読んでいて唖然。
 私は大学で、マルチン・ノート説を学んだけど、と、いま書籍を検索すると、売ってないというか。図書館とかにあるのでしょうかね。
 英語のウィキペディアはそれなりに⇒Martin Noth - Wikipedia, the free encyclopedia
 個人的には、アンフィクチオニー仮説は違うと思うのだけどね。っていうか、発想がギリシアすぎねか。
 こんなもんめっけ⇒The Tribes of Yahweh: A Sociology of ... - Google Book Search