この問題はちょっと錯綜するかな
猫猫先生⇒やはり村上陽一郎がおかしい - 猫を償うに猫をもってせよ
バカも休み休み言うがよい。だいいち、ビザンツというのはヨーロッパではないのかね。古代ローマ帝国の版図は、現在のヨーロッパ南部から、コンスタンティノープル、アレクサンドリア、アンティオキアまで広がっていたのであり、西ローマ帝国が亡びても厳然として東ローマ帝国はあったのである。「12世紀ルネッサンス」なるものは、西ローマの版図であった地域のフランク王国という、いわば当時はヨーロッパの辺境になりつつあった土地で、アリストテレスの文献がアラビア語から翻訳されたというエピソードに過ぎず、「ヨーロッパ人はギリシアの存在を知らなかった」などというばかげたことがあるはずがないのだ。むろん、プラトンにしても、ネオプラトニストたちによって伝えられた像しかなかったが、ではカロリング・ルネサンスは何だったのか。しかも村上は「ギリシア」だけでは物足りず、「ローマ」まで付け加えている。
要するに、ギリシア・古代ローマの学術文献は、西ローマの滅亡、アレクサンドリアのアカデメイアがイスラム教徒に滅ぼされて、フランクではギリシアの、特にアリストテレスの文献が伝わっておらず、それをアラビア語から重訳したというだけの話を、村上は、「ヨーロッパ人は12世紀になって初めてギリシャ・ローマの文化を知った」などという法螺話へ拡大しているだけなのだ。
この問題はちょっと錯綜するかな。
一つの課題としては、「ビザンツというのはヨーロッパではないのかね」という点かな。
猫猫先生の認識では、「古代ローマ帝国の版図」=ヨーロッパ、という前提にも読める。
村上陽一郎の見解を私が理解していないので、言及もむずかしいが。
で。
議論は緻密しないとさらに錯綜するが、「東ローマ帝国」というのは歴史学の産物で、基本的にはこれがローマ帝国。なのでビザンツとされている時代の、つまりギリシア語を話す人々はローマ人でもあった。
これ(ビザンツ)が十字軍でもわかるけど、ヨーロッパ側からはすでに異文化のように見えていた。
というあたりで、異文化と見る主体のヨーロッパ人がどう確立したかということが問題の一つだで、いちおう欧米人の西洋史ではローマ帝国がなんとなくヨーロッパに継承されているかのような説明になっている。
あと。
少しこれに関連するけど⇒極東ブログ: [書評]捏造された聖書(バート・D・アーマン)
これも白黒で区別できる議論でもないけど、聖書がギリシア語であることは、事実上エラスムス時代に再発見されたようなもので、それまではヴルガタが原典扱いだった。
⇒ヴルガータ - Wikipedia
当然、ギリシア語(コイネ)の語彙がどのようなギリシア語のコンテクストに置かれていたかは、西欧では近代までよくわかってないかった。