日経春秋 春秋(6/25)

「実存は本質に優先する」(サルトル)をもじれば、首相の「本質」が温暖化防止に熱心でも、ネクタイ姿の「実存」映像がそれを疑わせる。たかがネクタイと言うなかれ。温暖化への取り組みは口先だけ、とのシンボルととられかねない。似合う自信がないのはわかるけど、ネクタイをはずしましょうよ、総理。

 団塊世代らしいな。たぶん、執筆子、サルトルがわかっての洒落でもないだろう。
 サルトルのこのテーゼは、投企を言っている。ハイデガーの投企とサルトルのそれについてはややこしい問題があるが(ハイデガーにとっては世界内存在の了解)、サルトルのテーゼでは、投企における本質は無と言っていいだろうか。つまり、投企に先行するものはない。だから、実存=行為、つまり社会的な、あえていえば身体的な関与としてのアンガージュというものがあり、そこから本質が了解されるようになるということ。
 春秋子の洒落でいうなら、まず首相がクールビズを着ることで、本質が現れる。行為に先行する本心のような本質があるわけではない。というか、執筆子、サルトルのスキームを日本教的な「本心」に誤解しているのだろう。というか、こういうところ団塊らしいなと思う。まあ、私がサルトルを理解しているという自信もないので誰かツッコミでもあるか。