自主規制や民度とか

 ⇒自主規制をどうワークさせるか - 池田信夫 blog

今度の規制については、「有害情報の例示」や「登録制」など問題は残るが、基本的に民間による自主規制という線が守れたのはよかった(高市氏は採決に欠席したそうだ)。

 コメント欄を承認制の件では、へたれとか自己内の警察という批判も受けた。自律は律せられるに非ずということが通じない人は多い。
 しかし限界だろうと、池信先生はいう。

これはもう民度の問題だ。Facebookのみならず、校内網でも日本人よりはるかに多くの中国人が実名で議論しているのに、日本のSNSもブログも匿名だから、人的ネットワークが広がらない。最近、急成長しているLinkedInでは、SNSで求職できるが、そういうビジネスも匿名では生まれない。

 一般論としては「民度」というワードは議論停止になりがちなので、できるだけそこを避け、可能性を模索しないといけない。ただ、率直に言えば、やはり民度なのだろう。
 アルファブロガー批判によく、売名だろというのがある。私はアルファブロガーだとは自認しないが、匿名であることは売名の意図がないということでもあるがこれもなかなか通じない。

先日も、アメリカの友人(日本語も読める)に「日本人は、ふだんはシャイで礼儀正しいのに、匿名になると、なぜ人が変わったように攻撃的になるのか」と質問されて、恥ずかしかった。彼のいうように「先進国で最低」の日本のウェブがこれ以上、劣化するのを防ぐには、小倉秀夫氏の提唱する実名制も一つの選択肢になるかもしれない。

 これは日本人の宿痾のように思える。他国民がいいとは思わないが、5・15事件とか見ると日本人には正義を語るものが卑怯であることへの違和感のなさに驚く。その心性はいまだ日本にある。
 「小倉秀夫氏の提唱する実名制」は空論だと私は思う。それが喧伝され話題になるほど、現実的な問題解決への模索へのボーガスになるというか、小倉氏の意図ではなくても結果的に。