読売社説 万葉集 日本人の心の源流を未来へ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 いかんなキレそうだ。

 日本人の心の源流である「万葉の心」について、改めて考えてみるよい機会だろう。

 そんなものは明治時代に与謝野鉄幹とかがフカシたもので、万葉の心というは、古今にそして新古今につがれ、並行して仙覚や契沖といった僧侶たちに守られていたものだった。古今にどう受けつがれ、仙覚や契沖がどう思ったか、それをきちんと辿っていかないかぎり、万葉の心なんてわかりゃしないよ。日本近代が生み出した日本古代幻想に浸ってナショナリズムの情感を濃くしていくだけにすぎない。きっこがやってりゃいい馬鹿話だよ、おっとキレてるなオレ。放言放言。

古代の日本人の素朴な感情を率直に表現している。
 万葉集が長く読み継がれてきたのは、そこに時代を超えて強く訴える力があるからだろう。

 古代日本人の素朴な感情がないとはいわないが、近江朝廷のサロンを壬申内乱でぐちゃぐちゃにして新政府が新しいサロンを引き継ぎ、律令的帝国国家を再形成し、そしてその中でうらぶれていく大友家の怨念がこもっている。仙覚がきちんと編纂してくれていなければ今にも残っていない。仙覚の労を思うと泣けてくるな。
 ⇒仙覚 - Wikipedia
 万葉集が読み継がれたもう一つの背景には、日本国家成立にまつわる薄暗い話がしこたま込められているからだ。梅原猛は怒濤のごとく、しかし杜撰にそれを解きはなったが、杜撰すぎてなんだかよくわからなくなった。折口信夫をよく読むと、彼はそのあたりのことなど当たり前に知っているようでもある。ふふとエロく笑う折口を想起してきもい。吉野裕子先生もだいぶ明らかにしてくれた。準備はかなり出来ている。でも、いつか日本人が、日本国家の成立の幻想を書き換える日を私を見ることはないだろう。日本がそれまで保ってくれとも思うが、先覚・契沖を生み出した日本を信じるしかないだろう。
 そういえば。

 奈良時代聖武天皇が造営した紫香楽宮(しがらきのみや)があった滋賀県の遺跡からは、万葉集に収められた和歌が記された木簡も見つかった。

 私はある夏、一人、紫香楽宮を尋ねた。いやある夏ではない。信楽線に乗ったのだ。1990年だな。
 ⇒信楽高原鐵道列車衝突事故 - Wikipedia
 私はひとり静かに紫香楽宮にいて時を過ごした。夕暮れになり、たまた来たバスに行き先も知らず乗って行ったものだった。