「窓が開いてますね」問題

 まあ、仮に問題とかしてしまう。
 「窓が開いてますね」というのは、どういう意味があるか?
 「窓が開いている」という認識表明以上の意味はないとしてもいいけど。
 日本語の場合。
 「窓が開いている」と「窓が開いてます」は同じではない。というか、そういう対比のスタイルに置かれるというか、いちおう純粋にはラングではなく、ソーシャルというかプラグマティックスの問題でもあるのだけど、ラング的な部分が食い込んでいる。
 簡単に言うと、「窓が開いてます」は不可避に会話、対人関係の文脈に組み込まれ、「窓が開いている」はそうした文脈に自由であるというより、対人関係の別の含みが出る。
 そして、それらに、「ね」「よ」「な」とかいろいろな、対人関係的なニュアンスを付加する辞が存在し、それらは結局、対人関係での機能をもつ。
 で。
 「窓が開いてますね」は、他者に対して、「締めろよ」であったり、「寒いじゃないか、場所を変えろよ」、「道路の排気が臭いじゃないか」、「ガキがうるさいぞ」など、多様の文脈的な意味というか、指示をもつ。
 このあたりは、いろいろと学問的にも議論されているので割愛。
 いずれにせよ、会話のコンテクストのメタフレームを理解することを「話を聞く」、として会話は機能する。
 さらに言うと、これらは最初から権力の構図のなかで決定されている。
 単純に言えば、劣位の人が言うか、優位の人が言うかで、「窓が開いてますね」の基本的な意味が変わる。さらに単純に言えば、命令か懇願か。劣位ならさらに懇願ならそれが可能なのか反抗なのか。
 空気読めとかKYとかいうのは、結局、だから、権力のゲームでしかない。
 「窓が開いてますね(外がうるさいなあ、締めろよ馬鹿)」に「いい風が入ってきますね」はKYとかされるのは、そういうこと。
 なので。
 空気を読む、あるいは、会話を理解するというのは、まず、権力の配置のなかで、自分与えられたロール(役割)を理解し、その理解セットなので可能な行動に翻案するというだけのこと。
 空気読むがキモイのは、そういう権力ゲームにおまえ入れよが最初に設定されているから。
 (権力の配置理解し、発言のメタ了解からどのような命令と責務の分散がされているかを忖度することが空気を読むこと。)
 というか。
 よほどのことがなければ、権力のゲームは避けていいのだろうと思う。ただ、仕事とかは「よほど」の部類になりがち。
 ネットとかで権力のゲームやったりとかKYとか言うのは、そういう関係性における自身のポジションが前提になると思っている俺様なんで、まあ、クソッタレと言っていいでしょう。