今日の大手紙社説

 自分の体調・心理状態のせいか、あまり社会に関心が向かない。
 アフリカ支援についても、援助ばかりが喧伝されるが、債務帳消し問題はまったく聞かなくなった。
 ⇒極東ブログ: ゴードン・ブラウン、その救世主的な情熱
 ジャーナリズムがなんだか、かなりおかしいという感じがするし、以前ならきちんと世界情勢を見極めてのうえでの左派的な批判の声も聞かれたものだが、どうも最近は変だ。ルワンダ虐殺問題について先日ぶくまでちらと見たのだけど、あれは社会的憎悪の問題もだが、実際には政府側の軍事行使によって殺害されている(200万人もの人を効率よく殺害できるのは軍事だろという想像力もないのだろうか)。だからジェノサイドなのだが、そういうことに留意している人もいなかったようだ。ダルフール問題もスーダン政府が組織的に軍を使っていることが最大の問題でだからジェノサイドの問題になる。民兵にクローズしていない。こういう問題意識はまるで通じない感じがする。
 なんだか鈍い絶望感のようなものがある。
 ただ、そういう絶望感みたいなものは、自分の奢りではないかなとも思う。「世界は君たちのものであって僕のものではない、かってにするがいいさ」という気持ちが去来する。あと、最近はめっきりめだった嫌がらせは減ったが(私が些細な存在であることを認めてくれたのだろう、幸いだよ)、それでもなんだか少数変な攻撃があり、そこまでして俺を黙らせたいかねともちょっと思わないでもない。ただ、そこまでは妄想というか気にするまでの領域でもないのだろう。ちょっこし言えば、微細な始発弁当さんなども、俺をちゃかしてダルフール問題を矮小化させたいのだろう。
 まあ、たんたんと行くかな。
 自分は無力だけど、見るべき程の事をば見つ、としてみるというか、生きるというのはそういうことか。煩悩眼を障えて見ることあたわずといえども、見ることのうちに大悲があるだろうし、大悲のあるうちは生きていられる。