普通のキリスト教徒増田論

 ⇒気持ち悪い

最近キリスト教徒と会話することが多いんだけど、その経験を通してキリスト教徒ってのはわたしの中でちょっと気持ち悪い存在になった。

 ちょっと微妙な言い方だけど。
 普通の人はキリスト教徒であることは語りのなかではあまり出てこないと思う。
 というか、どうも昨今のキリスト教徒というのはエヴァンジェリカルを指しているのではないかな。
 世界的には、「あのぅバイトの人と倉庫でセックスちゃいまいましたごめんなさい司祭様」みたいなキリスト教徒のほうが多い。
 あと、自分もそうだけど、大正リベラルとか戦後50年代から70年代欧米リベラル的な感性は普通にリベラルなキリスト教的な感性と融合するところが多い。普通にクリスチャンとかクリスチャンでなくてもクリスチャン的というか。そういう人たちはごく普通にID論とか関心ない。